第十九話 きっこのお薦め俳句本
あたしは俳句が大好きなので、句集以外の俳句関係の出版物も、よほど嫌いな俳人の書いたものでなければ、たいていは目を通しています。たまに嫌いな俳人のものも、会った時にアゲアシを取る材料として、立ち読みすることもありますけど(笑)
句集は、毎月あちこちから何冊も何冊も一方的に送られてくるので、ざっと目を通してお礼状を書くのが、義務ってゆ~か、負担ってゆ~か、重荷ってゆ~か、正直迷惑なんですが、これは、口には出さないけどほとんどの俳人が思ってることでしょう(笑)
手書きの挨拶文の一行でも添えてあれば別ですが、「謹呈」って印刷した紙っぺらが一枚挟んであるだけで、宛名まで印刷で、郵便局から大量に発送した中の一冊が、何の前ぶれもなくマンションの郵便受けの中に無言で鎮座し、仕事でクタクタになって帰って来たあたしを出迎えてくれます。
ふうっ‥‥。
句集なんか「BOOK OFF」に持ってってもイヤな顔されるだけだし、部屋に置いとくとすごくジャマだし、可燃ゴミの日に出すのは忍びないし‥‥。
そんな句集テポドンの攻撃で疲れたあたしの心を癒してくれるのが、句集以外の俳句関連の本なのです。
そんなワケで、今回の俳話は、あたしのオススメの本を2冊紹介してみたいと思います。
『奥の細道・俳句でてくてく』路上観察学会著/太田出版¥2200
これは、あたしの大好きな赤瀬川原平さん率いる路上観察学会の5人のメンバーが、芭蕉の奥の細道を旅しながら、路上に奇妙なものを見つけるたびに写真に撮り、その写真に短文のコメントと一句添えて行く、と言うものです。最近の俳句関連の本の中では、あたし的には一番ウケたもので、高かったけど、無理して買って正解でした。
赤瀬川さんと言えば、サルマネ大国ニッポンにおける数少ない本物の芸術家の一人で、その人生は芸術そのものです。60年代の前衛芸術家時代には、当時の千円札をそっくりに描いたスーパーリアリズムの作品により、紙幣の偽造犯として逮捕されてしまいます。
シャケ缶のラベルを剥がし、カラッポにした内側に貼り直し、カンヅメの内側と外側を逆転させた作品「宇宙の缶詰」、ビルを丸ごと梱包してしまう「梱包アート」など、あたしが生まれる前にスゴイことをやってた人です。
独特の味わいのあるイラストと文章も魅力で、最近では「老人力」で話題になりましたが、81年には尾辻克彦と言うペンネームで書いた「父が消えた」と言う作品が、直木賞を受賞しています。
あたしは、赤瀬川さんの本は全て読んでいますが、特に面白いのが、路上観察学会のハシリとなった「トマソン」です。
窓がコンクリートで埋められてしまったのに、その上にそのまま残されているヒサシや、上って行っても何も無く、ただの壁に行き着いてしまう階段など、町や路上の片隅に残された無用の長物の中に「芸術性」を見い出し、それらを研究して行く学問です。
昔、ジャイアンツにトマソンと言う外国人選手が鳴り物入りでやって来て、ものすごい契約金と年棒を貰ったのにもかかわらず、打席に立つと三振の嵐で、全くの無用の長物だったことから、この芸術の名前が生まれたそうです(笑)
そんな素敵な赤瀬川さんの他も、オニギリ顔のイラストレーターの南伸坊さん、東大の教授で建築家の藤森照信さん、作家兼デザイナーでマンホールのフタの研究家でもある林丈二さん、そして筑摩書房の専務で敏腕編集者の松田哲夫さん、このメンバーが奥の細道を旅するんですから、タダで済むわけがありません(笑)
タテマエだけの「客観写生」を旗印に、モノを見ないで過去の句をなぞってるだけの縄文式結社の主宰達に、このメンバーの観察眼を少しは見習って欲しいと思う今日この頃です(爆)
『俳句、創ってよかった/中学生の12ヵ月』柴田雅子著/日本エディタースクール出版部¥1545
子供たちの感性を育てるために、実験的に国語の授業に俳句を取り入れ、毎月1回の句会を1年間続けた担当の先生による記録です。
舞台となるのは、東京の私立の女子中学校で、一番多感な時期の中学3年生が対象です。
最初はとまどいながら作り始めた俳句が、良く考えられたカリキュラムに沿って進んで行くうちに、どんどん上手になって行くのが分かります。
それが「自分の想いを言葉にする」と言う技術的な面だけでなく、「見たものをどのように感じ取るか」と言う感性の部分の発達にも顕著に表れて来ます。そして最後には、「自分の感動を好きな人と共有したい」と言う世界にまで行き着きます。
ただ俳句を作るだけでなく、生徒達の毎月のレベルアップに伴って伏線的に組まれている細かい指導は完璧で、感動すら覚えます。
俳句の入門書と言うものは掃いて捨てるほど出版されていますが、どれを取ってもロクなものはありません。それは、ほとんどの入門書が、俳句結社の主宰によって書かれているからです。結社の主宰達が、自分の結社の会員達に向けて書いた、自分のステータス向上のための入門書など、どれも似たり寄ったりで、季重ねや切れ字などの基本的なルール以外は、何ひとつ学ぶことはありません。
俳句にとって最も大切な「心」についての記述が、先人達の言葉をそのまま丸写ししているだけで、書いている本人達が理解も実践もしていないのですから、当り前でしょう。
これらの入門書こそ「トマソン」、無用の長物です(笑)
あたしは、これから俳句を始めたいと言う人から、どんな入門書を選んだら良いかと尋ねられた時、入門書として書かれたものではありませんが、必ずこの本を薦めています。
もちろん初心者だけでなく、長年俳句をやっている人にもぜひ読んで欲しい本で、結社で勉強していたら10年かかっても分からないことが、これ1冊で簡単に分かります。
あたしの持っている初版は8年前のもので、今回の俳話を書くにあたり、一応出版社に問い合わせてみました。そうしたら、まだ発売しているそうなので、今回紹介することにしました。
さて、話は戻り、1年間の俳句のカリキュラムを終え、高校へと進学して行った一人の生徒から、先生のところへ一通のハガキが届きました。
あとがきに書かれているそのハガキを全文紹介したいと思います。
『先生、お元気ですか。卒業を無事に終えてから何日か過ぎて、すっかり春らしくなりましたね。この前、一人で散歩にでかけたら桜がきれいに咲いていました。でも木の下にはつぼみが落ちていました。たくさん。かわいそうなので家に連れて帰ってコップに水を入れてそれらを浮かべたんです。そしたら今日、そのつぼみたちが咲きました。うれしかったので、つい俳句をつくってしまいました。あんまりうまくないけれど。
落ちた春水に浮かべて初桜
下手だけど、この喜びを先生に伝えたくて。お元気で。』
今回紹介した2冊は、両方とも俳人が書いたものではありません。他にも、たくさんのお薦め本がありますが、俳人の書いたものは、その1割にも満たないのです。
もしかしたら、俳句にとって大切なことを一番分かっていないのは、俳人自身なのかも知れませんね。