第二十二話 ★短歌はCD、俳句はレコード
先日、NHKの教育テレビで、俳句、短歌、川柳の特集をやっていました。NHKの俳壇や歌壇などは、いかにもNHK好みの選者が交替で出演して、いかにもNHKらしい予備選を突破した作品が並び、どの出演者も台本通りのコメントしか発言しないので、何の勉強にもなりません。でも、先日の番組は、俳句や短歌の授業に力を入れている女子高の取材や、普段、これらの詩型と関わりのない人達から公募した作品を発表したりと、なかなか興味深い内容でした。
その番組の冒頭で、「俳句についてのイメージ」を街頭インタビューしたVTRを流していました。
女子高生「な~んか年寄りって感じぃ~!」
若いサラリーマン「季語だとか何だとか、決まり事が多くて難しそうな感じです。」
こんな意見を何パターンか流したあと、「季語などの難しい決まり事もなく、誰でも簡単に自分の想いを表現できる短歌が、今、若い人達の間でブームとなっています。」と言う司会者の言葉とともに、書店に並ぶ色とりどりの絵本のような歌集が映し出されました。
堅苦しい「伝統」に支配され、庶民などは読むことも許されなかった貴族だけの高尚な遊び「和歌(短歌)」と、そのファッキンな「伝統」を否定することによって生まれた庶民の文芸「俳諧(俳句)」とが、今まさに、完全に逆転してしまっているのです。
それどこれか、その火の消えかかった亀山ローソクみたいな俳句に、さらに追い打ちをかけるように「伝統」なんて冠をかぶせ、徹底的に庶民を排除しようとしている結社なんかもあるくらいだから、街頭インタビューの意見は当然の結果でしょう。
でも、短歌が一般に受け入れられ、俳句が受け入れられない理由は、「俳句は年寄りくさいから」「俳句は難しそうだから」「ある勘違い結社のアホな行動のせい」だけではないのです。
それは「カンジンの俳人達が本当の俳句と言うものを分かっていない」からなのです。
俳句は、連句の発句が独立したものなので、何と言っても「切れ」が命です。そして次に大切なのは、もちろん「季語」です。でも、ほとんどの俳人は、そこまでしか分かっていません。つまり「切れ」と「季語」があって575の「定型」なら、もう立派な俳句だと思っているのです。
前回の俳話「伝統って何?」の中にも書きましたが、俳句のルーツである俳諧は、それまでの伝統を否定することにより生まれました。
そして、その俳諧が、それまでの連歌と一番大きく違っていた点は、高尚な連歌では絶対に禁止されていた外来語(漢語)や俗語を自由に使えると言うことなのです。
この決まり事は、俳諧から俳句が生まれたあともずっと続いており、場合によっては、季語や切れなどよりも重要な「俳句の存在理由」となっています。
この、連歌(和歌)では禁止されていて、俳諧(俳句)でしか使えない外来語や俗語などを総称して「俳言(はいごん)」と呼んでいます。
当時の外来語と言えば主に漢語ですが、国際社会の現在では、英語を主に、フランス語、イタリア語、中国語、韓国語、ロシア語、スペイン語、他にもいくらでもありますし、和製英語や造語のたぐいまで、すべてが俳言なのです。
また俗語と言えば、まず思い浮かぶのが流行語です。
今の俳人達がミケンにシワを寄せるような、渋谷のセンター街で今どきの女子高生やキンパツの兄ちゃん達が地ベタに座ってしゃべってる言葉、それが俳言なのです。
300年前のそう言う子達が「大人達ってさ~あれもダメこれもダメってウザイから、うちらだけで言いたいこと言っちゃお~ぜ!」って生まれたのが俳諧なのです。だから、現在の芭蕉は、窪塚洋介あたりじゃないでしょうか(笑)
つまり、カタカナ語や流行語の使用を禁止しているような結社があるとしたら、それは、俳句の本意がまったく分かっていない、自らが俳句と言うものを否定している結社なのです。
結論として、意識的にしろ無意識にしろ、俳句の主軸となる「俳言」をうまく使えない俳人ばかりの現在の俳壇は、庶民から見たら完全に体制側のものになってしまっているのです。
今から15年くらい前、あたしが中学生の頃は、俳句も短歌も同じように「年寄りくさ~い!」「難しそ~!」って思われていました。そこに、短歌の歴史を塗り変えるヒロイン「俵万智」が「サラダ記念日」をひっさげて登場したのです。
和歌の世界ではタブーとされていた外来語や俗語などの「俳言」を自由自在に操り、たった31音の中に良質な映画の1シーンのような世界を作り出してしまう彼女の作品は、それまで短歌に興味の無かった人達の間にあっと言う間に浸透し、とりわけ感受性の強い若い世代に受け入れられたのです。
流行語を使い口語でさらりと詠んでしまう俵ワールドは、それまでの難しくて堅苦しい短歌のイメージを一掃し、中学生からOL、主婦までもが、ノートの端に自分の想いを31音で綴るようになったのです。
この様子を見ていた俳壇のお偉いさん達は、よほど隣の芝生が青く見えたのでしょう。
俳句の世界にも俵万智のようなヒロインを作り出し、なんとか活性化しなければ!って考えました。そして生まれたのが「黛まどか」です。
最高水準の作品を何十年も応募し続けても、よほどの人脈がないと受賞できない「角川俳句賞」は、表向きは一応権威のある賞です。毎年たった1名だけに与えられる賞で、審査にあたっている先生達の結社に所属している会員達が、持ち回りで受賞することに決まっているデキレースですが、他の賞も似たようなものなので、その辺の裏事情を知ってる俳人達からは「ゼネコン賞」とか「鈴木宗男賞」とか呼ばれています(笑)
でも、とにかく権威主義の象徴なので、若い俳人は絶対に受賞することはできないのです。
それなのに、黛まどかが応募した94年は、黛まどかのために奨励賞と言うワクが設けられ、シナリオ通りに彼女がその賞を受賞したのです。
つまり、俳句界の俵万智を作り出し、低迷している俳壇を救おうと言う「柳の下の二匹目のドジョウ作戦」の人柱として、若くてキレイで今風の俳句(と頭の古い人達には思われた)を詠む黛まどかに白羽の矢が立ったのです。
内部からも反発の多かった、この角川一世一代の大バクチで、大方の予想通り「角川俳句賞」の権威はガタ落ちし、それまでせっせと応募していた真面目な俳人達は、ほとんど離れて行ってしまいました。そして今や、権威どころか、新人の登竜門みたいになってしまいました。
話は戻り、その時の黛まどかの作品50句には、その中の代表句(と作者が思ってる句)である「旅終へてよりB面の夏休み」と言う句から「B面の夏」と言うタイトルがついていました。驚くべきことに、選者はその句を「夏の後半をレコードのB面に喩えたところが斬新だ」と評価しています。
あたしは、稚拙すぎる句のレベルにも呆れましたが、何よりこのトンチンカンな評に、開いた口が塞がりませんでした。
今はMDやDVDだけど、当時はCDの全盛期。どこにもレコードなんか売ってないし、A面B面なんて言う言葉自体、完全に死語になってるって言うのに‥‥。感覚としては、今、ゲーム機のことを「ファミコン」って言うのと同じくらいの古さです(笑)
中の一句を抜粋してみると、
蓬(よもぎ)摘む赤いポルシェで乗りつけて
あなた、コレ、どう思います?(笑)
山口百恵が「プレイバック PartⅡ」って言う歌で「緑の中を走り抜けてく真っ赤なポルシェ~♪」って歌ってたのが、調べてみたら78年。65年生まれの黛まどかは、中学生の頃です。あたしでさえ知ってるこの大ヒット曲、彼女が知らないはずがありません。
つまり、常に新しいものを詠むべき俳句で、なんと15年も前の歌謡曲で歌われていた「赤いポルシェ」を登場させているのです。
この辺のズレ具合が「B面」と同じように、感覚のズレまくった選者達には「斬新だ!」と感じたのでしょうか?それとも、結果の決まったデキレースだから、何とか無理して誉めたのでしょうか?
どこかの伝統俳句結社の主宰の代表句、「セーターの又赤を着てしまひたる」を彷彿させるほどのこのポルシェの句を筆頭に、単語だけでなく、言い回しや対象の切り取り方など、どの句もどの句もあまりの古さに、当時、ヘアメークになりたてで、流行の先端を行く人達とお仕事を始めたばかりだったあたしは、どっかのおばあちゃんが作った俳句かと思ったほどです(笑)
本来、流行の最先端の「俳言」を使わなくちゃならない俳句がこのアリサマで、逆に短歌の世界では、最先端の流行語を詠み込むだけに留まらず、俵万智の歌からも流行語が生まれて行ったのです。
短歌の世界では、俳句の手法、自己客観写生を取り入れた辰巳泰子や、俳言どころか流行そのものを作り出している桝野浩一など、伝統などに背を向け、次々に独自のスタイルを確立して行く歌人があとをたたないのに、俳句の世界では、15年も前の歌謡曲みたいな句を「斬新だ!」なんて言ってるんだから、いつまで経っても「俳句は年寄りくさ~い!」って言われちゃうのも仕方ないですね(笑)
現在の短歌は、CDどころかMD、DVDへと進化し続け、デジタルと言う身軽さを武器に、各メディアへと広がり続けています。
それなのに、芭蕉の「不易流行」も知らず、俳句の本意は「俳言」にあることも知らない俳人達は、今だに「定型」と「季語」と「切れ」だけの歪んだレコードをターンテーブルに乗せ、雑音だらけのアナログの音を鳴らしてるんだから、常に新しいものを求めていた芭蕉や子規は、どんな思いでこの時代遅れの歌謡曲を聴いていることでしょう。