第一話 猫と魚釣り
あたしは猫が大好きで、何匹もの野良猫の世話をしているので、猫を飼ったことの無い人よりは、猫に対しての知識もあり、猫の習性も知っているつもりです。
あたしと同時期に俳句を始めた男性で、魚釣りが大好きな人がいました。もちろん、釣りをしない人よりも、魚や魚釣りに関しての知識や経験があります。
句会のたびに、あたしは猫の句、彼は魚や釣りに関する句を提出していましたが、いつも低い評価しか受けられませんでした。
ある時、先生が言いました。
『自分の好きなものや得意とする分野で、良い句を作ろうとするのは、一番難しいことなんです。何故ならば、好きな世界だからこそ、主観や思い入れが強く出 てしまうのです。それから、もう一点。あなた達は、猫や魚釣りについて詳しいかも知れませんが、その句を読む人達は、必ずしも猫や魚釣りに詳しい人ばかり では無いのです』
実際に、あたしの句で『肉球(にくきゅう)』と言う言葉を使った句を提出したことがありました。肉球とは、猫の足の裏のクッ ションのことで、あたしは、誰でも知っている言葉だと思っていました。でも実際は、句会の出席者のうち、たった3割の人にしか分からなかったのです。
釣り好きの男性の句でも『こませ』と言う言葉を使った句があり、これは、釣りをする時に魚を集めるために撒く餌のことらしいのですが、釣り人には当たり前 の言葉でも、句会では1割の人にしか理解してもらえませんでした。言葉だけに限らず、専門的な知識に裏づけされた描写なども、作者の思い入れだけが空回り するだけで、句会のメンバーには理解してもらえません。一句の下に、説明書きでも添えれば理解してもらえるかも知れませんが、俳句とは17音のみで勝負する世界なので、自句解説と言うのは、最も恥ずかしいことなのです。
自分の句に解説をつけると言うことは、自分が17音で言い切れなかったために、説明書きを補足した、と言うことになり、自らの句力の無さを露呈する行為となる訳です。
あたしは、今でこそ猫の句を詠むようになりましたが、先生から前出の言葉をいただいてから数年は、できる限り猫の句を詠むことは避け、題詠で『猫』と言う 題が出た時も『猫舌』『猫背』などの言葉を使い、直接、猫は詠まないようにしていました。俳句で最も大切なことは、主観を捨てること。そのためには、特に 初心のうちは、自分の好きなもの、自分の得意とする分野のもの、思い入れの強いものなどを対象にすることはなるべく避け、初めて見るもの、普段の生活で接点の無いものなどを詠むようにすると、自然と客観的に対象と対峙できる、と言うことなのです。