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スレッドNo.33

第二十六話 俳句の作り方

俳句は、たった17文字しか無いので、言いたいことをすべて言いきれません。そのために、「省略」と言う作業が必要になって来ます。

例えば、こんな体験をしたとします。

「年の暮に、新宿のカマド家と言うラーメン屋さんで、煮玉子入りのラーメンを食べたら、とっても美味かった」

このままだと、53文字もある上に、ただの報告文です。これを17文字にまとめ、詩に昇華させる作業。それが、省略です。

まず、この文章をパーツに分けてみます。
そうすると、「年の暮」「新宿」「カマド家」「ラーメン屋」「煮玉子」「ラーメン」「とっても」「美味かった」と言う8つの言葉に分けることができます。

俳句は、五七五の3つのパーツから成り立っているので、まずはこの8つの言葉の中からいくつかを選び、パズルみたいに五七五を作ってみます。

  新宿のカマド家と言うラーメン屋

これでは、ただのラーメン屋さんの説明ですね。

  カマド家の煮玉子ラーメン美味かった

作者の気持ちが、少し見えて来ました。

  年の暮ラーメンとっても美味かった

季語も入ったし、一応俳句らしくなって来ました。でも、まだまだ詩にはなっていません。一体、どこがいけないんでしょう?

前出の8つのキーワードの中で、作者が一番伝えたいこと、それは、「美味かった」と言うことです。ですから、普通なら、この言葉だけは省略できないって思うでしょう。

でも俳句は、一番言いたいことを言わない文芸なのです。一番言いたいことは、言葉にしないで読み手に感じてもらう詩なのです。

この場合なら「美味かった」と言う言葉を使わずに、その情景だけを詠い、あとは読み手に委ねるのです。

こう詠んだらどうでしょう。

  ラーメンの湯気立ちのぼる年の暮

このほうが、直接的に「美味かった」と言う言葉を使うよりも、何倍も美味しそうに感じて、ラーメンが食べたくなって来ます。その上、「年の暮」と言う季語の持つ力によって、17音の奥にある世界が見えて来るのです。

『大晦日の夜、タクシーや人ゴミで溢れる新宿の繁華街。コートの襟を立て、白い息を吐きながら、足早やに行き交う人々。そんな中、空腹にふと立ち寄ったラーメン屋さんで、年越しそば代わりに、そのお店のオススメ、煮玉子ラーメンを注文した。しばらくすると、湯気の立ちのぼるアツアツのラーメンが運ばれて来た。ひと口食べてみると涙が出るほど美味しくて、あっと言う間に食べ終わり、スープの一滴まで飲み干してしまった。たった一杯のラーメンに身も心も満たされ、満足して外に出る。‥‥ああ、今年も終るんだなぁ‥‥』
たった17音の詩が、ここまでの世界を感じさせてくれます。これが、「言わない文学」の持つ力なのです。

例えば、桜の花びらがひらひらと落ちて来て、「きれいだな」と感じたら、

  花びらがひらひら落ちてきれいだな

と詠むのではなく、

  花びらがひらひら落ちて来たりけり

と詠み、一番言いたい「きれいだな」と言うことは、読み手に、その情景から感じ取ってもらうのです。

ラーメンを「美味しい」と感じたり、散る桜を「美しい」と感じるのは、作者の主観です。自分の感動を直接的な言葉で表現することは、主観、つまり価値観の押しつけになってしまいます。世の中には、ラーメンが嫌いな人もいれば、桜を美しいと思わない人もいるでしょう。自己の主観を排除し、情景だけを詠むことによって、十人十色のラーメンや、散る桜が現れて来るのです。
「ここのラーメン美味いんだぜ!食ってみろよ、な?美味いだろ?な?な?」って、その人の主観を押しつけられたら、美味しいラーメンだって、美味しく感じられません。
でも、お腹の空いてる時に、湯気の立ちのぼるラーメンを黙って目の前に置かれたら、箸を付けなくたって美味しさが伝わって来るでしょう。

言わないことにより、自分の主観を取り除き、相手に本当の想いを伝える。これが、俳句なのです。

※今回の俳話は書き下ろしではなく、2年ほど前に、これから俳句を始める人たちに対して書いた「言わない想い」と言うエッセイの前半の部分をリメイクしたものです。

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