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スレッドNo.38

第三十一話 俳句のシャッターチャンス

  ほつほつとひらきはじめし白梅のやがてちりゆく胸の水面へ

梅の蕾がほつほつと開き始め、三分咲きになり、五分咲きになり、そして満開になり、やがて散ってゆく‥‥。
短歌は、このように時間の経過を詠むのに適しています。誰も逆らうことのできない時間と言う流れを詠むことで、悲しさや儚(はか)なさを表現することができます。

しかし俳句は、時間の経過を詠むことができません。できないと言うか、適していないのです。それは、短歌の半分ほどしか音数が無いと言う、定型のキャパシティーの問題だけでなく、その方法論としてです。

俳句は「すべてを言いきらない文芸」なので、ある出来事のある瞬間だけを切り取り、その前後のことは読み手の感性に委ねるのです。
喩えれば、短歌はビデオカメラ、俳句は普通のカメラと言うわけです。
しかし、俳句と言うカメラは、誰にでも簡単にキレイな写真が撮れる、オートマチックのカメラではありません。
写す対象を決めたら、まずはどの方向から撮るのか、ズームレンズで近寄るのか、広角レンズで周りの景色と一緒に写すのか、などのアングルを決めます。写す対象にフォーカス(ピント)を合わせることも重要ですし、手ブレを起こさないようにしっかりと構えることも大切です。露出を計ることも忘れてはいけないし、対象や状況によって使用するフィルムのタイプも選択しなければなりません。そして、場合によってはフラッシュや三脚などの道具も必要になって来ます。

これらの事柄は、俳句と言うカメラで何かを写そうとする時、そのどれもが大切なことなのです。しかし、これらがすべて完璧であっても、良い俳句が作れるわけではありません。
これらすべてよりも俳句にとって大切なこと、それは「シャッターチャンス」なのです。

短歌と言うビデオカメラは、対象の動きを時間の流れに沿って撮して行き、一番のクライマックスが中央やラストに来るように編集することができます。

しかし、俳句と言うカメラは、対象の一連の流れの中で、一瞬だけを写し取ることしかできません。ですから、露出を計ることよりも、フォーカスを合わせることよりも、「いつシャッターを押すか」と言うことが重要になって来るのです。

それでは、いつシャッターを押せば、良い俳句を作ることができるのでしょう冒頭に揚げた梅の歌の景を初めて俳句カメラを手にした人達に写してもらうと、たいていは、蕾よりも三分咲き、五分咲きよりも満開の状態を写そうとします。そして句会と言う写真展には、満開の梅の美しい写真がたくさん集まって来ます。
どの写真も美しく、甲乙つけがたいほどです。素晴らしいことは確かですが、出展者の名前を伏せたら、どれが自分の作品か分からないほど、似たような作品が並んでしまうのです。

つまり、すべての対象には一番素晴らしい瞬間があり、初めて俳句カメラを手にした人達の多くは、その瞬間を写そうとシャッターに指を掛けて狙ってしまうのです。これが、初心の俳句カメラマン達の陥りやすいことであり、結果として類句が生まれてしまう原因でもあるのです。

例えば「夏祭り」を俳句カメラで写すのなら、大勢の人達が盛り上がっているところでシャッターを押すのではなく、祭りが終わり皆がいなくなったあとの暗く寂しい場所に出かけて行き、夜店の残り物をボソボソと食べている野良猫を写すのです。そのほうが何倍も賑やかだった祭りの様子が伝わって来る上に、切なさや儚なさと言った世界へと読み手のイメージが広がって行くのです。
例えば「花火大会」を俳句カメラで写すのなら、色とりどりの大輪の花火が夜空を埋め尽くす瞬間にシャッターを押すのではなく、まだ花火大会が始まる前の、これから会場の川原へ向かう子供達を写すのです。お母さんに浴衣を着せてもった子供達の姿から、ワクワクした気持ちが伝わって来ます。

子供の頃、遠足の日の前の晩に、明日が楽しみで、ドキドキワクワクしてなかなか眠れなかったことをたいていの人は経験しているはずです。
短歌は、前の晩から遠足当日、そして次の日の、歩き過ぎて足が痛くなったところまでをビデオカメラに収めることができます。しかし、瞬間を写す俳句カメラでは、誰もがシャッターを押す遠足当日の風景よりも、前の晩のドキドキワクワクした様子を写し取ったほうが、何倍も遠足の楽しさを伝えることができるのです。
このように、俳句カメラのシャッターと言うものは、それぞれの対象が「今まさに佳境」「今まさに見せ場」と言う時に押すのではなく、その前後に少しずらすことによって、読み手に与える世界が何倍も広がる上に、類句を避けることにも繋がるのです。

写されることを意識して、全員が作り笑顔で整列した記念写真よりも、その前後のスナップ写真のほうが、いつまでも思い出に残っているでしょう。

あなたが何かを発見したり、何かに感動したりしてそれを俳句にしようと思った時、単純にその状況だけを17音にまとめるのではなく、その前後のことも俳句にしてみて下さい。そうすれば、もっと想いの伝わる作品が生まれるかも知れません。

他人と似たような体験や同じような感動でも、視点を変えてみると新しい句が生まれて来る可能性があります。シャッターをずらすと言うことも、視点を変えるひとつの方法なのです。

《おまけ》
※冒頭の梅の短歌は、この俳話を書くにあたって、あたしが作ったものです。
「こんなのは短歌じゃない!」って思った歌人の皆様、ごめんなさい(笑)

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