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スレッドNo.4

第二話 五感と第六感

 俳句の季語には、植物、動物、気象などの自然のものから、人間の衣食住にまつわるものまで、色々な言葉があります。季語を分類する場合、一般的にはそれらのカテゴリーに分けるのが普通ですが、俳句を作ると言う観点から考えると、季語は大きく二つに分けることができます。
 それは、人間の五感に働きかけるものと、そうでないものです。これは、作句の上で、とても重要なことなのです。
 花は、目で見たり香りを嗅いだりすることができますし、鳥は、その姿を見るだけでなく、鳴き声を聞くこともできます。食べ物は味わうことができますし、目には見えない「秋風」も、肌で感じることができます。「虎落笛(もがりぶえ)」のように、風が起す音を季語としたものもあります。これらは全て、人間が五感のうちのどれかで感じることのできる季語なのです。
 これらの季語を使う場合、俳句の形は二通りになります。季語そのものを詠む句形と、季語と別の描写を響き合わせる句形です。
あたしの句を例にして申し訳ありませんが、「秋蝶の螺旋に堕ちて来たりけり」と言う句は、「秋蝶 」そのものを詠んだ句で、「秋蝶や上着を脱いで深呼吸」と言う句は、季語と描写を響き合わせることで、第三の世界を造り出している句なのです。
 このように、人間の五感に働きかける季語は、どちらの形の句も作ることができます。
 しかし、目にも見えず、耳にも聞こえず、味わうこともできない、五感に働きかけない季語、例えば、「立秋」「大寒」「十一月」「神の留守」などは、その季語自体を詠むことができません。これらの季語を使う場合は、描写と響き合わせる句しか作れないのです。
 ですから、いちがいには言えませんが、自分の周りを見回して俳句を作る場合、あまり季語ばかりを探し出そうとしてしまうと、五感に働きかける季語しか見つけることができず、句のパターンが決まって来てしまいます。季語でないものにも目を向け、自分の置かれている状況すべてを見回し、季語に捉われずに詩を書く、そして、五感に働きかけない季語と響き合わせてみると、思いがけない句を授かることもあるのです。
 花や虫などを顕微鏡で観察するように切り取って行く写生句も素晴らしい世界ですが、五感に働きかけない季語と現実の描写との響き合いで生まれた秀句は、五感を越えた、まさに第六感に語りかける句になりうるのです。

編集・削除(編集済: 2022年08月09日 19:35)

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