第三十四話 水中花VS兜虫
「俳句研究」の去年の11月号に、櫂未知子と奥坂まやの一対の記事が掲載され、色々なメディアで波紋を呼びました。皆さんご存知だと思うので詳細は省きますが、知らない人のために簡単に説明しておきます。
奥坂まやの句、
いきいきと死んでをるなり兜虫
が、すでに発表済みの櫂未知子の句、
いきいきと死んでゐるなり水中花
の類句だと言う問題に関する、当事者同士の記事のことです。
自作の類句を発表され、憤慨した櫂未知子の「奥坂まやさんに問う、俳句のオリジナリティーとは」と言う記事と、それに対する奥坂まやの「返信」と言う、類句を発表するに至った自分の考えと謝罪、自句の抹消文が対になって掲載されたのです。
この問題に対して、あたし自身も色々なサイトなどで発言しましたし、当事者の片方の人からは、記事に書かなかった(書けなかった)真意も聞きましたので、これ以上は他のサイトなどで語る必要はないと思っています。
それでは、今回の俳話で、何故この問題を取り上げたのかと言うと、類句に対するあたしの考えを明確にしておくためです。
確かにこの2句は、パッと見れば似ていますが、水中花のほうは頭の中だけで作った観念的な想像の句、兜虫のほうは観念的な写生句、と思われ、それぞれの作家の所属結社のカラーが全面に出た作品同士で、内容的には相対するものです。
ようするに、句の「形」が似ている、と言うことであり、類似した表現に至ったプロセスは全く異なります。
降る雪や明治は遠くなりにけり
これは、あまりにも有名な中村草田男の句です。
しかし、この句は、
獺祭忌(だっさいき)明治は遠くなりにけり 志賀芥子(かいし)
の完全なる類句です。
水中花と兜虫の場合は、季語以外が類似していると言っても「ゐ」と「を」の1文字が違っていますが、こちらは一字一句同じです。
それなのに、あとから発表された草田男の句のほうが作品として優れていたために、類句の汚名を着せられるどころか、俳句史に残る名作となっているのです。
海に出て木枯帰るところなし 山口誓子
第二次大戦の特攻隊の悲哀を詠ったこの名句も、
木枯の果てはありけり海の音 池西言水
の類句と言われています。
こちらは「形」でなく「句意」が類似しているのですから、類句を発表することを「悪」と考えるのであれば、水中花の場合よりも悪質なはずです。
しかし、優れた作品のため、後世へと読み継がれています。
松坂慶子の歌う「愛の水中花」と、aikoの歌う「カブトムシ」の歌詞の一部がそっくりだったとしても、それは松坂慶子がaikoに直接文句を言うような問題ではなく、草田男や誓子の例のように、長い時間の中で多くの人の目に触れ、そして優れたほうの作品が残って行くだけのことではないでしょうか?
奥坂まやは、櫂未知子の水中花の句を知らなくて、偶然に似た表現になってしまったわけではありません。類似した表現であっても、自分の句は「兜虫」と言う命のあるものの「本物の死」を詠っており、水中花などの命の無いものに命を見立てている句とは、本質的に違うものだと判断し、そして発表しました。
その事実に対して櫂未知子は、知らずに類句を発表してしまったのなら事故のようなものだが、今回の場合は「故意」にやっていると言うことから憤慨し、自分が先に発表したのだから、この「いきいきと死んでいる」と言うフレーズは、自分のオリジナルだ、と言う主張を展開しています。
さらに、先ほどあたしが紹介した「明治は遠くなりにけり」の例まで引き、「獺祭忌の句など無かったとホトトギスに書いてある」と書き、つけいるスキの無い理論で攻撃しています。
それに対しての奥坂まやの返信は、100%降伏状態で、自分を愚かだ言い、櫂未知子の句をほめたたえ、平謝りし、最後に「自分の句を抹消します」と結んでいます。
これは、誰が読んでも、これ以上問題をややこしくしたくないから、自分のほうが折れた、と言う書き方の文章です。
それでは次に、先日あたしが、ある俳句のサイトに書き込んだ類句についての記事を紹介しましょう。
瀧の上に水現はれて落ちにけり 後藤夜半
この句は誰でも知っていますよね?
それでは、以下の句はどうでしょう。
瀧水の現はれてより落つるまで 星野立子
大瀧の水追ひ打つて落ちにけり 田中素耕
瀧の水溢れてひろく落ちにけり 桑原すなお
瀧の面に霧現れて走りけり 細谷暁雪
現はれて霧に落ち込む華厳かな 小泉静石
落ちかかる水ふり仰ぐ瀧の上 石井迎雲居
瀧の上人現はるる柵のあり 菅康人
瀧の上に瀧あらはれし登山かな 小野峰月
これらは全て、前出の夜半の句が、昭和4年9月にホトトギスの巻頭に入選したのち、2~3年の間に作られ、発表された句です。もちろん、これらの句の作者が、ホトトギスの巻頭になった夜半の句を知らないわけがありません。
しかし、夜半はこれらの句の作者に対して、何も言っていません。
その理由は「いくら形が似ていても、句意が違ければ別の句である」と言う見解からです。 』
あたしも、基本的には夜半と同じ見解です。形も句意も類似していれば、あとから発表したほうが捨てるべきですが、句意が異なれば、別の句だと思います。あとは、それらの作品が自然に淘汰されて行けば良いだけです。
夜半の句は、これだけの類句が出て来たのにも関わらず、後世にまで残っていますが、他の句は、あたしくらいの俳句マニアでなければ知らないでしょう。
夜半の句のように、本当に素晴らしい作品であれば、類句など寄せつけない力を持っているので、あとからどんなに類句が出て来たところで最後まで残るのです。また、逆に類句のほうが素晴らしければ、草田男の句のように、あとから作られたもののほうが本物になってしまうのです。
誰もが思いつくような発想をしておいて、自分のほうが先に発表したからこの言い回しは自分のオリジナルだなんて、結局は自分の作品に自信の無い人の考え方ではないでしょうか?
そこまでオリジナリティと言うことを主張したいのならば、誰にも真似されないような、それこそ本物のオリジナリティのある作品を生み出せば良いのではないでしょうか?
例えば、「貫く棒の如きもの」と言うフレーズは、間違いなく虚子のオリジナルであり、これと同じ表現の句を作ったら、たとえどんな季語に変えても、誰からも類句だと指摘されます。
あたしに言わせれば、別々の発想から類似した表現に到達したこと自体、水中花も兜虫もどちらの句も月並みなんだと思いますが、この二人の句ばかりが脚光を浴びている陰で、話題にも上らない鳴戸奈菜の、
水中花目をあけている死んだまま
と言う句の立場はどうなってしまうのでしょうか?(笑)
この句は、櫂未知子の水中花の句の約1年後に発表されていて、句意の上からすれば、まさしく類想と言えるでしょう。
櫂未知子が鳴戸奈菜に噛みつかないのは、この句の存在を知らないからでしょうか?そんなはずはありません。この句は、鳴戸奈菜の代表句のひとつであり、たいていの俳人なら知っているはずです。
それに比べ櫂未知子の句は、句集に収められたたくさんの句の中の一句であり、一般にはそれほど知られていません。今回の問題で、この句を知った人のほうが圧倒的に多いはずです。
形の似た、内容の全く違う作品を攻撃し抹消させ、同じ題材、同じ内容の作品を野放しにしているブッシュ‥‥いやいや、櫂未知子。
これから我々は、アメリカの類想で核を手放さないイラクや北朝鮮に対して、どんな態度をとって行けば良いのでしょうか?(笑)
《おまけ》
櫂未知子の「水中花」の句が、他の作家の作品の類想句だったことが判明しましたので、ここに付随したいと思います。
美しく溺死してゐる水中花 香下壽外 (1995年)
いきいきと死んでゐるなり水中花 櫂未知子 (2000年)
水中花目をあけている死んだまま 鳴戸奈菜 (2001年)
いきいきと死んでをるなり兜虫 奥坂まや (2002年)
うららかに老いてゐるなり櫂未知子 松尾 杏史 (2003年)
図書館註:池田澄子さんの第三句集『ゆく船』2000.06.26刊行の中に、こういう句がある。
新鮮に死んでいるなり桜鯛 池田澄子
shi音で頭韻を踏んでおり、櫂美知子の句よりも先行して発表されている。
どうして誰も「新鮮に死んでいるなり」のオリジナリティを問わなかったのだろう。生物か無生物かで句意が変わるから類句ではないと言うなら、奥坂まやの句も類句ではないことになるからだろうか。