MENU
5,527

スレッドNo.44

第三十七話 俳句deしりとり

この「きっこのハイヒール」に、新しく「俳句deしりとり」と言うコーナーが生まれました。さっそく、こうさん、ひろみさん、はなさん、ナナさん、さんちゃん、まるとさん、水星人さんなどが参加して下さって、じわじわと盛り上がりつつあります。

実はこのコーナー、パクリです(笑)

色々な俳句のサイトに「しりとり俳句」のコーナーがありますが、前の句の下5を次の人がそのまま上5にもって来るものや、お題で詠みついで行くものなど、そのルールは様々です。

このサイトの「俳句deしりとり」は、ルールは浦川聡子さんのサイトの「リレー俳句」や井上かほりさんのサイトの「しりとり575」と同じで、前の句の中の好きな言葉を抜き出して繋いで行くスタイルをパクリました。タイトルは、宙虫さんのサイトの「折句deリレー」のパクリです。
聡子さんにもかほりさんにも宙虫さんにも無許可でパクっているので、いつ怒られるかとヒヤヒヤしている今日この頃、いかがお過ごしでしょうか?(笑)

なんて冗談はさておき、今回の俳話は、「マイケル・ジャクソンの整形疑惑」‥‥じゃなくて、「俳句deしりとり」と言うコンテンツを作ったイキサツについて書いてみたいと思います。

俳句をやっていると、時々スランプに陥ることがあります。それまでは、ワリと簡単に575を作ることができていたのに、急に言葉が出て来なくなったり、思いついたことが575にまとまらなくなったりするのです。
そして、投句のシメキリが近づいて来て焦りはじめ、歳時記とにらめっこしてウンウン唸り、考えても考えても同じ場所をどうどう巡りしてしまい、苦しみ、悶え、のたうちまわり、自分には才能が無いのだと悲観し、諦め半分で納得できない句を投句してしまうのです。

そして自己嫌悪に陥り、妖しげな爽やか青年に誘われてウサン臭い自己啓発セミナーに連れて行かれ、号泣しながら自分を責めたてるのです(笑)

ここで断言しておきますが、俳句を作るのに才能なんか必要ありません。
ってゆ~か、「俳句の才能」なんて言うもの自体、初めから存在しません。
俳話の他の項でも度々書いているように、俳句と言うものは、「自分が見て、自分が感じたことを、自分の言葉で表現する」文芸です。ですから、たとえそれがどんなに拙い作品であっても、それは世界でたったひとりの、その作者にしか作れない詩なのです。

もし俳句に「才能」と言うものがあるとしたら、それは「いつでも自分らしくある」と言うことだけです。芭蕉だって子規だって虚子だって、あなたの代わりにあなたの想いを詠うことはできないのですから。そして、あとは少々のテクニックがあれば良いだけです。

縄文式結社の縄文式主宰に洗脳され、古めかしいものを「俳句らしい俳句」と思い込まされてる縄文式俳人達は、今日もセッセと使い古された言い回しやサビの浮き出た言葉を使い、自分を殺した表現で、類想類句の山を築いています。

縄文式結社では、よく「立派な俳句」と言いますが、あたしに言わせれば、こんなアホな言葉はありません。俳句とは作者の心の言葉なのですから、人間的に立派な人が作らなければ、本当に立派な俳句なんか生まれるワケがありません。

主宰にホメて欲しくて主宰好みの句ばかり作っているような人達は、どんなに立派に見える句を作ったって、たとえそれが主宰に認められたとしたって、あ~た~し~は~絶対に認めません!(爆)

そう言う人達って、小学校の時にクラスに必ず一人か二人いた、先生の顔色をうかがってゴキゲン取りばっかりしてる、点取り虫の優等生野郎のナレノハテです。
きっと、死ぬまで俳句を続けても「誰のために俳句を作っているのか」と言う、一番大切なことに気づかない気の毒な人達でしょう。

さて、本物の俳句を作る上で大切なことのひとつに、「シャッタースピードの速さ」があります。

芭蕉は「物のみえたる光、いまだ.消えざるうちに言ひとむべし」と言っています。

またまた渋谷の女子高生に登場してもらい、現代語に訳してもらうと「マックってさぁ~買ってすぐに食べればそこそこイケルんだけどぉ~時間がたって冷めちゃってからだとぉ~マズくて食べらんないって感じぃ~!」って具合です(笑)

ようするに、自分が感じたことは、その感動が薄れないうちに切り取れ、と言うことです。
そんなワケで、俳句のシャッタースピードを養うためには、頭の中にある「言葉の引き出し」をいつでもパッと開けられるように訓練をしておく必要があるのです。

でも「訓練」なんて言っても、俳句は決して苦しんでやるものではありません。どっかの縄文式結社みたいに「鍛練会」だとか「寒稽古」だとか「ナントカ合宿」だとか言って、まるで、時代遅れの体育会かカルト宗教みたいなことをやってるのは、勘違いもハナハダシーってゆ~か、完全にイカレてる集団です。いっぱいコードのついた変なヘルメットみたいなのかぶらされてるんじゃないの?って感じです(笑)

とにかく、俳句をどんどん後退させて行く縄文式結社や、主宰絶対主義の北朝鮮結社がやってることは、主宰のコピーを製造しているだけで、「自分らしくある」と言うことの正反対のことなのです。

俳句って言うのは楽しんでやるものですから、みんなで楽しく「俳句遊び」をしながら、知らず知らずのうちに力がついて行く、そして自分の作句スタイルが出来上がる、と言うのが理想的なのです。
そのための遊びのひとつが「俳句deしりとり」なのです。

最初は細かいことなど気にせずに、575で季語さえ入っていれば何でも構いません。前の人の句の中に使いたい言葉が見つからなければ、その前の句から持って来たっていいでしょう。二人同時に投句してしまい、カブったりしたって気にすることはありません。次の人は、どちらかの句から繋げればいいだけです。

色々と考えてるヒマがあったら、とにかく何でもいいから作ってみましょう。お遊びなんですから「いい句を作ろう!」なんて考える必要はありません。

「俳句deしりとり」のコーナーにアクセスしたら、絶対に1句書き込む!そうしていると、知らず知らずのうちに575のリズムが体にしみ込み、余裕が出て来ると、2つの言葉を詠み込めるようになったり、前の人の句にアイサツを返したりできるようになって来ます。

あたしは、客観写生こそが最強の俳句だと思っていますので、常に観念を削ぎ落とすように、自分の主観と戦いながら作句しています。でも、ひとりで俳句を作っていると、どんどん主観が湧き出て来てしまいます。

そんな時、浦川聡子さんや井上かほりさんのサイトにおじゃまして、「リレー俳句」や「しりとり575」で遊ばせていただくと、主観などに構っていられなくなり、自分でも思いがけない句が生まれて来ることがあるのです。それは、主観と言うフィルターを通さずに、記憶の引き出しからダイレクトに出て来た言葉なのです。

しりとり俳句に参加する上で、一番いけないことは、せっかくアクセスしたのに、前の人の句を見ても繋げる句が浮かばなかったからと言って、そのまま立ち去ってしまうことです。例えば、平仮名1文字だけ繋げる句でもいいから、どんなに変な句でもいいから、とにかく作る!
「俳句deしりとり」に毎日3回アクセスして、その都度、どんな句でもいいから必ず書き込むようにすると、少しづつ俳句のリズムが体にしみ込み、心臓の鼓動も575を刻み始める‥‥ってゆ~のはウソだけど(笑)、何かを見て俳句を作ろうとした時に、確実にシャッタースピードが速くなっているはずです。

何かを見て、自分が感じたことを俳句にしようとした時、なかなか言葉が出て来なかったり、自分の想いを17音でうまく表現できない‥‥。こんなに切ないことはありません。
あなたも「俳句deしりとり」で楽しく遊んで、芭蕉並みのシャッタースピードを手に入れてみませんか?

編集・削除(未編集)

ロケットBBS

Page Top