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スレッドNo.45

第三十八話 仰臥漫録

誰でも知ってる「アンネの日記」から、一部のマニアしか知らないあたしの「きっこの日記」(※図書館註:現在は「きっこのブログ」として2005.01.13「きっこ的ワラシベ長者?」から2022.01.01「新年、明けましておめでとうございます♪」までが無料で閲覧出来ます。それ以降は有料の「きっこのメルマガ」に引き継がれ益々パワフルで繊細なブログを継続しています)まで、世の中には書物やホームページなどで、一般に公開されている日記は、山ほど‥‥いや、この表現は陳腐だから、星の数ほど‥‥いや、この表現は月並みだから、ヘラブナのエラの中のサイハの数ほど‥‥って、これじゃあ分からないから‥‥とにかく、いっぱいあります(笑)

それらの中で、俳句を志す者なら避けては通れないのが、正岡子規の「仰臥漫録(ぎょうがまんろく)」です。

何年も俳句をやっている人なら、以前紹介した「俳諧大要(はいかいたいよう)」と同様にほとんどの人が読んでいると思いますが、今回の俳話は、まだ読んだことがない初心の方々のために、この本を紹介したいと思います。

正岡子規は、脊髄カリエスと言う病気により、36才と言う若さで亡くなっていますが、この日記は、明治34年9月から死の直前の35年9月までの1年間を書き綴ってあります。

自力では、体を起こすことも寝返りを打つこともできず、ただただ仰向けに寝ていることしかできなかった子規は、そのままの状態で、半紙を綴じて作ったノートに、病気による苦痛と闘いながら、文章や俳句、絵などを記して行ったのです。

明治三十四年九月二日 雨 蒸暑し

庭前の景は棚に取付てぶら下がりたるもの夕顔ニ、三本、瓢(ふくべ)ニ、三本、糸瓜(へちま)四、五本、夕顔とも瓢ともつかぬ巾着(きんちゃく)形の者四つ五つ

日記の1日目は、この文章に、夕顔や糸瓜などの絵が添えられて始まります。
この日記を書き始めた時点で、子規の肺は左右ともにほとんど空洞になっており、医者からは「生存していること自体が奇跡」と言われていました。
読み進んで行くと誰もが驚くのが、とても病人とは思えない子規の食欲です。ある日の食事を例にあげてみましょう。

朝 粥(かゆ)三椀 佃煮 茄子と瓜のお新香 ココア入り牛乳五勺 塩せんべい三枚

昼 かつおのさしみ 粥三椀 みそ汁 西瓜二切 梨一つ

間食 菓子パン十個 塩せんべい三枚 茶一杯

夕 栗飯三椀 焼き魚(さわら) 芋煮

ほとんど毎日、このくらいの量の食事をしているのです。特に驚くのは、おやつの菓子パン10個です。たぶん、ひと口サイズの小さなものだと思いますが、それにしてもお昼ごはんを食べて数時間で、良くこれだけのものが食べられると関心してしまいます。
あたしには、子規のこの異常にも思える食欲が、生きることへの執念のように思えてなりません。

日記には、その日の食事の他に、自分の病状や連日尋ねて来る来客のこと、そして俳句など様々なことが書かれています。

体の激痛、頭痛、発熱、吐き気、動くことのできない子規を次々に襲う病魔‥‥。

それでも子規の作る俳句は、病気の句の合間に、作者の苦しみなど感じさせない写生句が並んで行きます。

  秋の灯の糸瓜の尻に映りけり 子規

もしも、あたしが死の淵にいたら、こんな句が詠めるかと、いつも考えてしまいます。

2週間目の9月14日の日記には、あまりの苦しさに「絶叫号泣」と記されています。それでも、少しでも痛みが去ればまた筆を取り、仰向けのままで日記を書き、絵を描き、俳句を作り続けます。
比較的病状が安定している日には、書生時代の旅行の思い出や病床で思うことなどを随筆的に書き綴り、来客の持参したお見舞いの品々を見て俳句を作ります。

しかし、腹部の包帯を替えるごとに、わき腹に開いた患部の穴は大きくなって行き、子規を絶望の底へと突き落とします。

そして、大雨の降る10月13日、あまりの苦しさに頭がおかしくなって来た子規は、「さあたまらんたまらん」「どーしやうどーしやう」と連呼し、老母に頼んで弟子を呼びに行かせます。その間、ひとりになった子規は、手元の硯箱(すずりばこ)にある小刀と千枚通しに目をやり、いっそこれを使って死んでしまえば、この苦しさから開放される、と言う思いと格闘するのです。

しかし、子規の本当にすごいところは、このあとなのです。
激痛が治まり平静な精神状態に戻ってから、この時の様子を冷静に日記に書き、さらには、自分の命を終らせようとした小刀と千枚通しをスケッチしているのです。
これこそ、究極の客観写生ではないでしょうか?

そして、この日記は、10月末の子規の36才の誕生日をもって、病状の悪化により一時中断します。

翌年の3月から再開しますが、激痛を和らげるために麻痺剤を服用し始め、ほとんど毎日、苦しさに泣いています。

7月を過ぎると、いよいよ誰の目にも最期だと言うことが分かり、弟子の虚子、碧梧桐、鼠骨(そこつ)などが、当番制で毎日訪れるようになります。

7月以降は、衰弱により日記を綴ることもできなくなりますが、それでも意識のもうろうとする中で必死に筆を取り、死の間際の9月初旬まで、植物を写生しています。

そして、9月19日、絶命します。

子規の生きざまは、まさに命を賭けた客観写生そのものなのです。

※図書館註:子規の四大随筆は『松蘿玉液』『墨汁一滴』『病牀六尺』『仰臥漫録』で、最後の『仰臥漫録』は公開を前提にはしていないため献身的な妹律への非情の言葉も書き留められています。なお、「青空文庫」で『俳諧大要』『墨汁一滴』『病牀六尺』は公開されていますが、『仰臥漫録』は作業中ですので、御覧になりたい向きは岩波文庫をお求め下さい。角川ソフィア文庫版がカラー写真や読みやすい文章で推奨本でしたが、現在は絶版になっているようです。表紙の子規が泥棒顔だと揶揄したのが難を招いたとすれば冗談でしたので口は災いの元となりました。山口亜希子様、ごめんなさい。

編集・削除(編集済: 2022年08月31日 00:46)

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