第四十話 言わなくてもいい言葉
17音しかない俳句と言う短詩型において、音数のキャパシティー以上のことを詠うためには、言わずに感じさせる「省略」と言うことが必要になって来ます。しかし、省略と言うテクニックを使う前に、まずは「言わなくてもいい言葉を言わないようにする」ことが基本となります。
俳句の中に「白梅」と言う言葉が出てくれば、それだけで「白梅の咲いている様子」を表していますから、「咲く」と言う言葉は言わなくても良いことになります。また、作者がその白梅を見て俳句を作ったことも分かりますので「見る」と言う言葉も必要ありません。白梅が咲けば美しいに決まっていますので「美しい」と言う言葉もいらないでしょう。そして「白梅」と言う季語には「香り」も含まれていますので「良い香りがした」と言う描写も、ただ季語の説明をしているだけなので不要となります。
つまり、通常の文章では「美しい白梅の花が咲きました。」と言うことを俳句では「白梅」と言う単語だけで表現しているのです。
さらに、「庭の白梅がきれいに咲きほこったので、庭に降りて見に行きました。そうしたら、とても良い香りに包まれ、心が洗われるような気持ちがしました。」と言う70音もある文章は、「白梅や」と言う、たった5音が表してくれるのです。
これは「白梅」と言う単語が、「咲く」「香り」「美しい」などの白梅に関する情報をすべて含んでいて、さらに季語の本意として「清楚」「慈しみ」「気品」なども含み、そしてそれらすべてに、切れ字の「や」が詠嘆を与えているからなのです。
名詞とは、通常の文章に使う場合は、ただ単に「対象を特定する記号」なのですが、俳句に使う場合は、同じ名詞であっても、多くの情報や本意を含み、その言葉の深さが全く違って来るのです。
通常の文章の中に「白梅」と言う名詞が出て来ても、それはただ、1種類の植物を特定しているだけで、「白梅を見た」とか「白梅が咲いている」と言わない限り、ただの単語でしかないのです。しかし、俳句の場合は、「白梅」と言った瞬間に、もう句の中に美しい白梅が咲き、作者はそれを見て、そして香りに包まれているのです。
これは、季語に限ったことでなく、すべての名詞に対して言えることなのです。
俳句の中に「ラーメン」と言う食べ物の名詞が出てくれば、わざわざ「食べる」と言わなくても、すでに作者は、熱々の湯気の立つラーメンをふうふうと食べているのです。
このように、花に対して「咲く」、食べ物に対して「食べる」、飲み物に対して「飲む」、音楽や鳥の声に対して「聞く」などは、すべて「言わなくてもいい動詞」なのです。
そして、美しいものに対して「美しい」、美味しいものに対して「美味しい」、重たいものに対して「重い」などは、すべて「言わなくてもいい形容詞」なのです。
このような「言わなくてもいい言葉」を排除すると、そのぶんの音数を使って、描写を緻密にしたり、他のことを詠ったり、一句の表現する世界を大きく広げることができるのです。また、無駄な言葉を省くと句にゆとりが生まれ、季語や切れ字、描写などがさらに輝き出すのです。
最後に例として「言わなくてもいい言葉」を使った句と、それらを削り落とした句をあげてみます。順番に読み、目をつぶって頭の中に景を思い浮かべ、どちらがイメージに広がりがあるか比べてみて下さい。
美しき白梅の咲く庭の隅
白梅や庭の硝子戸開け放つ