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スレッドNo.48

第四十一話 俳句が生まれる場所

吟行会や即吟の句会では、その場で俳句を作りますし、ネットでしりとり俳句をやっている時も、その場でどんどん作ります。しかし、それ以外の日常生活の中では、皆さんは、どんな場所で俳句を作っているのでしょうか?

あたしは、お風呂の中、ベッド、そして車の運転中です。俳句に限らず、詩でも小説でも何かの創作をする場合、湯舟に浸かりながら色々と思いを巡らせる人は多いと思います。また、お布団に入って寝るために電気を消すと、不思議と言葉が浮かんで来て、また電気をつけてメモに書いた、なんて経験のある人も多いのではないでしょうか?

あたしは、眠りにつく瞬間の、思考が停止するギリギリの時に、ふっと言葉が降りてくることが多く、ベッドサイトのティッシュの箱などは、裏までメモだらけです(笑)
ですから、ひと言で「俳句を作る場所」と言っても、ベッドは「心に降りて来た言葉をメモする場所」、お風呂は「でき上がった俳句を推敲する場所」であり、俳句が生まれる場所としては、車の中がメインになります。

あたしは、毎日、車を運転しています。でも、車で会社に通勤してる人のように、毎日同じ道を走るのではなく、職業がら、日によって目的地が違います。

お台場のテレビ局や横浜の撮影スタジオに向かう時は、遥か海の彼方まで一望できる、レインボーブリッジやベイブリッジを走ったりします。眼下の海上には、埋立地が幾何学的に組み合わさり、その間を大小様々な商業船が、真っ白な水尾を曳いて行き交っています。
お天気の良い日には、丹沢の山々の真っ黒な稜線の上に、雪化粧した富士山を望むこともできます。
空にはゆりかもめが舞い、その上空をエアバスが飛び、360度一大パノラマの世界です。
また、都内の中心にあるテレビ局やスタジオに向かう時は、大渋滞を避け、裏道の更に裏道の、猫が通るような路地を走ったりもします。
東京の真ん中の赤坂や六本木でも、そんな路地には古い日本家屋が残っていて、狭い庭には梅が咲き、野良猫が屏の上を歩き、夏には簾(すだれ)が掛かり、風鈴が下げられるのです。とても生活感に溢れ、思わぬ季語に出会うこともしばしばです。

あたしの車は左ハンドルなので、道路の左側にピッタリ寄せて駐車すると、ドアが開けられなくなり、外に降りられません。だからいつも、必死で室内を移動して、助手席のドアから降ります。タイトスカートの時は、まるでプリンセス・テンコーのイリュージョンみたいなポーズになってしまいます(笑)
それでも、何か興味のあるものを発見した時は、車を停め、必死に身をよじらせて助手席から降り、実際に近くで見たり、触ったり、匂いを嗅いだり、食べてみたり、そこにいる人に聞いてみたりします。そして、車に乗り込み、目的地に向かう間に、今体験したことを俳句にまとめます。

車の運転中は、安全確認や渋滞情報、ねずみ取りなど、色々なことに神経を使っていますので、お部屋でボーッとしている時に比べ、何倍も脳内麻薬のアドレナリンが分泌されています。その上、色々なことを同時に考えているため、俳句のために割り当てている脳みその一部にまで、主観などの味付けをする余裕が無くなっています。

つまり、俳句を作る上では、車の運転中と言うのは、ワリと良い条件が揃っている状態なのです。
真っ暗なベッドの上で、眠りに就く間際の聖なる時間に、心に降りて来た数々の言葉。それらを頭の引き出しに仕舞って家を出る。
そして、車の運転中に体験した現実の世界を俳句へと昇華させて行く作業の中で、引き出しを開けて、響き合う言葉を探し、融合させて行く。

運転と言う特殊な状況下で主観が押し殺され、脳内麻薬の作用で過敏になった感覚が言葉を選んで行くので、通常では見逃してしまうような繊細な部分にも神経が行き届く。そして、ケータイの音声メモに録音しておき、その夜、湯舟に浸かりながら推敲して行く。

何かを見た瞬間、何かを感じた瞬間に、ふっと心に浮かんで来る言葉、それが初めから17音になっていて、どんなに推敲しても、結局は最初の形が最高であった場合、これが一番良い俳句の生まれ方です。
そのために、いつ出現するか分からないこの瞬間のために、ふだんから頭ではなく体に俳句のリズムをしみ込ませておくことが大切なのです。

しかし、このような素晴らしい瞬間は、一年に一度あるかないかなので、それ以外の俳句は、あたしはベッドと車の中とお風呂と言う、必然的に生み出す状況で作っているのです。

夢中になって「俳句deしりとり」で遊んでいると、脳内麻薬が分泌され始め、車の運転中に俳句を作っているのと近い状況になって来ます。そして俳句のリズムが体にしみ込んで来るので、それまで頭だけで俳句モドキを作っていた人も、主観のフィルターを通さずに、心の言葉をダイレクトに表現できるようになって来ます。

「きっこのハイヒール」の「ハイ」は、俳句の「俳」であるとともに、ハイテンションの「ハイ」でもあるのです。
自らのテンションを高める状況を作り、その中で遊ぶことにより、知らず知らずのうちに感覚が研ぎ澄まされて来るのです。そうすると、意識的には決して覗くことのできない深層心理の扉が開き、潜在的な能力が発掘、開花するのです。

あたしは、眠る間際の聖なる時間に「言葉が降りて来る」と言いました。良く、ミュージシャンが「音楽の神様が降りて来た」とか、お笑い芸人が「笑いの神様が降りて来た」とか安易な表現をしますが、あたしの言っているのは、そんな他力本願なものではありません。もし仮に「俳句の神様が降りて来て、素晴らしい俳句を授かった」としたら、そんなもの、あたしの作品ではありません。
あたしの言っている「言葉が降りて来る」と言うのは、自力では開けることのできない深層心理の扉が、何かのタイミングで少しだけ開いた瞬間に、その隙間から漏れてくる言葉、すなわち「自分の心の言葉」のことなのです。
人間の心は、宇宙を飲み込んでしまうブラックホールと同じで、無限のキャパシティーを持っています。そして、誰の心の中にも、何千、何万と言う「自分の心の言葉」が浮遊しています。

人の俳句を読んで、感動したり、共感したり、心を動かされたりする人は、自分の心の中にも、その俳句を形成している言葉と同じ感覚を持っているのです。だから、全くの他人が作った俳句なのに、自分の心に響いて来るのです。つまり、人の俳句に感動できる人は、それと同じか、それ以上の俳句を作れる感性を持っているのです。

すべての人の心の中にある言葉、しかし、自由に使うことのできない言葉。
それらを常に意識し、少しでも引き出せる状況下で作句する。これが、あたしの場合は、車の運転中であり、しりとり俳句なのです。

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