第四十二話 オヘソでカプチーノ
現在発売中の「俳句研究」4月号に「旅と俳句」と言う鼎談が特集されています。いつも「リレー俳句」でお世話になっている浦川聡子さんと、「白露」同人の福田甲子雄氏、「春耕」副編集長の棚山波朗氏によるもので、「旅」と言う言葉からイメージする10句を各自が選び、様々な旅と俳句との関わりを話しています。
正直な感想としては、各話題の堀下げ方が浅く、少し物足りない面もありましたが、企画の特性を考えると仕方ないことでしょう。
さて、この鼎談の中で、読んだ瞬間に呆れ返って、オヘソでカプチーノを沸かしちゃった「棚山氏の問題発言」がありましたので、今回の俳話で取り上げてみたいと思います。
それは、福田氏の「地名のもっているイメージみたいなものが各自にあると思うんです。
それは全然知らない地名であっても、その句にぴったり調和して、その地名を取っては成り立たないという句がいくつかあるじゃないですか。」を受けての棚山氏の発言です。以下、全文を記します。
「たとえば山口青邨の、
みちのくの淋代の浜若布寄す
この句の場合、「みちのくの」という上五がありますから、だいたいあの辺りかなという想像はつきますが、「淋代(さびしろ)」だけではなかなかわかりにくいでしょう。青邨のこの句は、句会で「若布」の題が出たので、それで作った句だそうです。この句を作ったとき、まだ淋代には行ったことがなかったようです。そういう意味では想像の句です。「名前の哀れさが私にまざまざと思い描かせた」ということをおっしゃっています。淋代という地名のイメージがこの句を作らせたのではないかと思います。
それと、淋代では若布は採れないんじゃないかという人がいたようですが、採れても採れなくてもいいわけです。淋代というだけで若布が採れるだろうという思いが湧いてきた、それはそれでいいんじゃないでしょうか。」
おいおいおいおい!マジで!?
結社誌ならともかく、みんな読んでる総合誌で、こんなテキトーなこと言っちゃっていいの?ある意味、チャレンジャー!(笑)
さて、せっかく沸かしたカプチーノを冷めないうちに飲んでから、ゆっくりとツッコませていただきましょう♪
まず1点、「そう言う意味では想像の俳句です」と言う発言。
現実に行ったことの無い場所の俳句なんか作ったら、そういう意味でもどういう意味でも、すべて想像の句であり、作品上の描写は作者の観念によるものです。
それなのに、棚山氏のこの発言は、その土地へ行っていないと言う物理的な意味においては想像だが、この句を形成するそれ以外の部分は想像ではない、と言うように解釈できます。もしもそうであれば、観賞者として大きな勘違いをしているだけではなく、創作者としての自身の資質をも問われる発言です。
そのように思われたくなければ「そういう意味では」などと言う逃げ場を作った発言などせずに、ハッキリと「想像で作った句」と言い切るべきです。
2点目は、「淋代という地名のイメージがこの句を作らせたのではないかと思います。」‥‥って、だから本人が「名前の哀れさが私にまざまざと思い描かせた」って言ってんでしょ?自分で青邨の言葉を引用しといて、なんでわざわざ自分の発言に置き換えて繰り返す必要があるワケ?
‥‥なんて、どうでもいいような前菜は軽くあしらい、さてさて今夜のディナーのメインディシュに行きますか♪(笑)
全国のたくさんの人達のオヘソでカプチーノを沸かさせ、日本中をシナモンの良い香りに包んでしまった棚山氏の呆れ返る問題発言、「採れても採れなくてもいいわけです。」(爆)
「旅と俳句」と言う鼎談の主旨を根本からひっくり返すような、棚山氏の最終兵器が炸裂したって感じです。
行ったこともない土地の名前を使い、想像だけでデタラメな句を作っても、著名俳人の作品なら非難されるどころか名句になるのでしょうか?
その上、作者の知識不足から、その土地で採れないものを詠み込んでしまったこのインチキ写生句に対しての「あの辺りではワカメは採れないのでは?」と言うゴモットモな周りからのツッコミに、「(ワカメなんか)採れても採れなくてもいいわけです。」
さすがのあたしも、この発言には開いた口が塞がりませんでした。読み手をバカにするのもいいかげんにしろ!って感じです。
日本海にマグロが水揚げされ、北海道にハイビスカスが咲き、沖縄で雪祭りが行われても、著名俳人の作品であれば許されるのでしょうか?
これはもはや、棚山氏個人の発言ではなく、棚山氏が副編集長をつとめる「春耕」と言う結社の作句姿勢、方向性と理解されてもしかたがないでしょう。
俳句って何?
写生って何?
こんな考えの人間が、結社の重要なポストにつき、総合俳句誌で無責任な発言をするとは、雲の上の子規も虚子も草田男も爽波も、みんな揃ってオヘソでカプチーノを沸かしていることでしょう。
自分の実体験の中での発言をする聡子さんと、一貫性のある自分の考えを述べる福田氏に対して、時代錯誤もハナハダしい水原秋桜子なんかの言葉を引用したり、前出のようなトンチンカンな発言をしたりの棚山氏からは、終始、リアリティよりも作品としての完成度を優先する姿勢がうかがえました。
すわっニュータイプの縄文式俳人か?と思った矢先、棚山氏のトドメの一発が、あたしの頭上で炸裂したのでした。
福田氏が芭蕉の「おくのほそ道」に対して「(前略)よく読んで研究すると、おもしろいことがもっともっと隠されているかもしれない。」と発言したのを受けて、「まことに「おく」が深いということですね(笑)」‥‥と来たもんだ!(寒っ!)
せっかくカプチーノで体が温まったとこだったのにぃ~!(笑)