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スレッドNo.55

裏第一話 てのひらを開けば

マトモな俳句をやっている人はあまり知らないと思いますが、「海紅(かいこう)」と言う自由律俳句の結社があります。それも、あたしん家の近所に!(笑)

あたしは自由律なんか俳句じゃないと思ってるので、マッタク興味は無いんだけど、心の広い俳壇が、俳句のルールを無視した自由律なんかを俳句の仲間に入れてあげちゃってるので、総合誌とかにも載ってるし、イヤでも目に入って来ます。

この「海紅」って言う結社は、日本で一番歴史のある自由律俳句結社を名乗っていて、師系は河東碧梧桐、主宰は何代目か知らないけど中塚唯人(ただと)と言う50代の人です。
この主宰の一昨年の代表句が、

  ひらいた手が冬の街 唯人

と言う、ワケの分かんない作品です。

あたしだったら、

  ひらいた手がグーに勝つ きっこ

って詠んじゃうとこだけど(笑)

そんなことはどーでもいいんだけど、「魚座」と言う結社があります。こっちは有季定型のマトモな俳句をやってるので、知ってる人は知ってるでしょう。ここの主宰は今井杏太郎(きょうたろう)って言う70代の人で、元精神科医のおじいちゃんです。

この主宰の句も、この結社の人たちの句も、全部ボーッとした句ばっかりで、結社誌を読んでると2~3ページで眠たくなって来るので、不眠症の人にオススメの結社です。

主宰の去年の代表句は、

  てのひらを開けば夏になりにけり 杏太郎

と言う、ボーッとした作品です。

あたしだったら、

  てのひらを開けばチョキに負けにけり きっこ

って詠んじゃうんだけど(爆)
とにかく、手を開いて冬になるとか夏になるとか、あまりにも陳腐で月並みな発想で、自由律も定型も関係無く、仮にも主宰レベルが代表句として発表するような作品とは言えません。こんな類句を代表句だなんて言ってるようじゃ、池田澄子あたりに、

  じゃんけんに負けて主宰に生まれたの

なんて詠まれちゃいます!(笑)

モノを見ず、頭の中だけで俳句を作っているから、似たような観念句ばかりができてしまうのです。「海紅」の主宰も「魚座」の主宰も、作品うんぬん以前に、俳句に対する姿勢に問題があるとしか思えません。

同じ季語を使い、同じ題材を詠んでも、オリジナリティーの溢れる作品を作り続けている「草苑」の桂信子、「運河」の茨木和生、「童子」の辻桃子などの作句姿勢を見ると、誰よりも「対象を見ている」と言うことが分かります。人間の持つ観念とは、対象に対する先入観を生み出し、それが類句を作り出してしまう元凶なのです。

ただ、モノを見るのではなく、頭の中をカラッポにして、観念を捨て、そして対象を見る。これが、オリジナリティー溢れる作品を作る基本中の基本なのです。

「ホトトギス」のように、過去の作品の類句を作ることを目的に活動している結社なら構わないでしょうが、通常の創作活動においては、オリジナリティーと言うものが一番大切なのです。

それはもちろん、誰もが使う陳腐な言葉を使っておいて「自分のほうが先に発表したから、この言葉は自分のオリジナルだ」などと言う水中花レベルの問題ではなく、もっと質の高い、「表現」と言うものの本質の問題なのです。

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