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スレッドNo.59

裏第五話 不死の男

  パッカアド来て日盛りの玄関に 日野草城

と言う句があります。この句を読んで、次の歌を思い出した人は、オジサンorオバサンです(笑)

  あの娘をペットにしたくってぇ~♪ニッサンするのもパッカ~ドォ~♪
  ほ~ねの髄までシボレ~でぇ~♪フラれてフィアットしましたよぉ~♪

ご存知、小林旭の「自動車ショウ歌」と言う歌で、あたしの世代だと、現在は役者の陣内孝則が、もともと売れない田舎ロックバンドだった頃に、カヴァーして歌っていたのを風のウワサに知っているくらいです。

実際、こんな歌あんまり良くは知らないので、最後のあたりはデタラメに、あたしの愛車、フィアットを「冷っと」と言うことで盛り込んでみました(笑)
さて、小林旭と言えば、別にビール会社や新聞社の社員ってワケではなく、旭と書いて、アサヒじゃなくてアキラと読みます。
小林旭に関するあたしの知識は、①美空ひばりの元ダンナ、②赤いトラクター、③ギターを背負った渡り鳥、④鶴太郎のモノマネ、と、こんな程度で、たぶん世の中の平均値くらいでしょう。

賢明なる「きっこの裏俳話集」の読者諸君は、もうこの時点でお気づきだと思いますが‥‥え?分からないって?? 

狩行‥‥じゃなくて、修行が足り~ん!表の俳話集を読み直して来なさ~い!(爆)

‥‥しかたないから、教えてあげましょう!

この小林旭に関する4つのデータをじっくりと見て下さい。①の「ひばり」は春の季語、②の「トラクター」も春の季語、③の「渡り鳥」は秋の季語、④の「鶴」は冬の季語、つまり、「春、春、秋、冬」となっていて「夏」が無いのです!
この事実が何を語っているのか?

それは、「今年は冷夏で、夏らしい夏が来ない」と言うことを予言しているのです。これこそが「ノストラダコツの予言」と呼ばれているもので、過去にも、たくさんの予言を的中させているのです。

  ライターの火のポポポポと滝涸るる  秋元不死男

マニアッ句なパッカアドの句と違い、こちらは誰でも知っている有名な句です。この句が何を予言していたのかと言うと、2001年3月31日の土曜日に行なわれた、中日と広島の試合結果なのです。

ライターと言うのは、竜雷太のこと。竜、つまり、中日ドラゴンズです。ライターの火がポポポポとなるのは、ガスが切れかかり、最後の力を振り絞っているのです。
そして、滝と言えば、鯉の滝のぼり。つまり、広島カープのことです。滝が涸れてしまえば、さすがの鯉も滝をのぼることなどできません。
この句の予言通り、この日の試合は、9回の表に緒方がホームに突っ込み病院送りとなり、その裏で新井の失策から東出悪送球、そしてサヨナラと言う、広島にとっては最悪の展開、まさに滝が涸れてのぼれない状態となり、3対2で中日が勝ったのでした。

この句の作者、秋元不死男は、この素晴らしい予言句を含む「万座」と言う句集で、加藤楸邨の「まぼろしの鹿」とともに、昭和43年、第2回のノストラダコツ賞を受賞しています。

不死男と言えば、もともとは東京三と言うペンネームで活動していましたが、これは別に東京三菱銀行の略ではなく、名字が東、名前が京三です(笑)
新興俳句運動を推進したり、京大俳句事件で投獄されたりと、なかなかハリキッちゃってた人ですが、この人のノストラダコツぶりは目を見張るものがあり、こんな話が残っています。

戦後しばらくした頃、毎日新聞が全国名勝俳句を募集しました。その時の選者が、今考えるとものすごいメンバーで、高浜虚子を筆頭に、ノストラ‥‥じゃなくて飯田蛇笏、富安風生、水原秋桜子、山口誓子だったのです。
この選者たちの最初の打ち合わせが、上野の高級料亭で行なわれたのですが、その日、誓子が病気のため、急きょ代役として、不死男に声が掛かったのです。

大先輩たちを待たせるワケには行かないので、不死男は、約束の時間よりも、少し早めに料亭へと出向きました。それなのに、部屋へ入ると、不死男よりも早く着いたひとりのロン毛のオッサンが、ごろりと横になっていたのです。
この、魔術師のような風貌のオッサンこそ、何を隠そう、ノストラダコツだったのです!これが、不死男と蛇笏の初めての対面の瞬間だったのです。

初対面とは言え、あまりにも有名な蛇笏なので、不死男は、ひと目見て蛇笏だと言うことが分かりました。そして、嫌な予感がしたのです。

何故なら、不死男がまだ東京三と名乗っていた頃、自分の結社誌の中の俳句月評のコーナーに、蛇笏の主宰する結社誌「雲母」についての文章を書いていて、その内容は、「蛇笏の文章は難解で、読むに耐えない」と言う、ボロクソのものだったのです。

しかし、不死男が「ヤバイ!」と思ったのもツカノマ、蛇笏はニコヤカに話しかけて来て、楽しい会話が続いて行くのです。
そして、話題が一段落した時、蛇笏がこう言ったのです。

「秋元君、そう言えば、東京三とか言う嫌な奴がいたが、アレは今どうしてる?」
そうなのです! 蛇笏は、自分が今話している相手、秋元不死男が、自分のことをボロクソに書いた、にっくき東京三その人だと言うことを知らなかったのです!

こんな質問をされて、「実は私です。」なんて言えるはずもなく、トッサに出た言葉が、「さあ?どうしているでしょう。おそらく死んでしまったと思います。」

すると蛇笏は、静かに「そうか‥‥」と言ってうなづき、もうその無礼な奴の名前は口にしなかったそうです。
その時、不死男は、心の中でニヤリと笑って、こう思ったのです。

‥‥死ぬワケないじゃん! だって、不死の男だも~ん♪(笑)

そして蛇笏は、生涯「秋元不死男=東京三」と言うことを知らずに、更には、自分の没後に自分の名を冠した賞をこの無礼な男が受賞することも知らずに、昭和37年、77才の天命をまっとうしたのです。本家本元の飯田蛇笏でさえも騙し通してしまう、不死男のノストラダコツっぷり!さすが、警察の拷問にも屈しなかっただけのことはあります。
そして、蛇笏が旅立った15年後の昭和52年、蛇笏とほぼ同じ75才で、不死の男も、彼のもうひとつの名前であった「地平線」の彼方へと、ギターを背負おっていない普通の渡り鳥とともに旅立って行ったのです。

  鳥渡るこきこきこきと缶切れば  不死男

図書館註:小林旭の「自動車ショウ歌」はきっこの隣の矢印をクリックすれば視聴出来ます。映画『投げたダイスが明日を呼ぶ』の挿入歌ですが、画像はぴんぼけでも歌われた車が出て来る動画の方が駄洒落がわかりやすいので選びました。

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