裏第九話 タマゴで産みたい?
先日、「船団の会」代表の坪内稔典さんの「三つの視点から」と言う現代俳句論を読んでいて、驚いたことがありました。坪内さんの俳論は、他の作家たちとビミョーに違った観点からのものが多く、なかなか造詣も深いので好きなのですが、今回は「アレ?」って感じでした。
他の作家などが避けて通る攝津幸彦などにスポットを当て、立体的に解析して行く現代俳句の構造はとても面白かったのですが、後半、「あぶらののった今日の俳人」として、自分の結社の会員、鳥居真里子を取り上げ、作品5句を紹介していました。
次の句が、その中の一句です。
玉子にて娘産みたしさくらの夜 真里子
この句に対して、「(前略)玉子の娘を産みたいとかいう発想がとてもユニーク。」と言う解説。
おいおいおいおい!マジで?
女優の秋吉久美子が、「子供はタマゴで産みたい!」と言う名言を吐いたのは、今から20年くらい前です。各ワイドショーなどで取り上げられ、その年の流行語大賞にもノミネートされたほどの名言で、今でも覚えている人も多いでしょう。
鳥居真里子は、昭和23年、東京生まれ。テレビから新聞、雑誌に至るまで、当時、あれほどマスコミで取り上げられた秋吉久美子の名言を知らないはずがありません。これは、明らかに確信犯です。
日本中で知らない人はいない山口百恵の国民的大ヒット曲「プレイバック・パートⅡ」の歌詞から「まっ赤なポルシェ」をパクる黛まどかもスゴイけど、こちらも同じくらいスゴイ!
秋吉久美子の名言を忘れていた人も、この句を読んだ瞬間に20年前にタイムスリップして、「子供はタマゴで産みたい!」を思い出したことでしょう。
まあ、主観を使った観念句しか作れない俳人は、すぐにネタが無くなり、身近なところからネタをパクッてくるなんてことは日常茶飯事だと思いますが、これほど有名な言葉をパクるなんて、読み手をナメてるとしか思いません。
でもまあそれはいいとして、あたしが驚いたのは、坪内さんが、この句を紹介し、先ほどの解説を添えた行為です。
坪内さんと言えば、あたしの大好きな俳人のひとりで、「三月の甘納豆のうふふふふ」や「たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ」など、個性的な作品で有名な作家です。俳句だけに留まらず、各メディアの情報にも精通しており、流行語などに関しては、たぶん俳壇一敏感な人ではないでしょうか?
仮に百歩譲って、鳥居真里子がテレビも見ず、ラジオも聞かず、新聞も週刊誌も読まず、女友達とも会話せずに生きて来て、秋吉久美子の名言を知らなかったとします。それでも、坪内さんがパクリ句であることに気づき、紹介は差し控えるのが普通です。
と言うことは、坪内さんも、テレビも見ず、ラジオも聞かず‥‥なんてワケはないでしょう。
秋吉久美子の発言以降に生まれた、中学生や高校生ならともかく、当時20代、30代だった人が、日本中に流行した言葉を二人揃って知らないなんて、ロト6でキャリーオーバーの1等を当てるくらいの確率です。
結局は、たまたま他人の句に似てしまったら大騒ぎするクセに、黛まどかの前例のように、他のジャンルからのパクリには不思議なほど寛容な俳壇と言うファッキンなシステムの中では、子供でも分かるような一般常識が通用しないと言うことなのです。
これで誰かが、「子供はタマゴで産みたい」と言う内容の句を発表したら、鳥居真里子はどっかの誰かみたいに、自分のオリジナルだと主張するのでしょうか?あたし自身、「子供はタマゴで産みたい」と思ったことがあるし、その気持ちを句にしようとしたこともあります。でも、秋吉久美子の名言があるので諦めたのです。
「子供はタマゴで産みたい」と思ったことのある女性はとても多く、試しにネットで検索してみたら、秋吉久美子の名言の他にも、個人のHPの日記の中に同様のことを書いている人や、産婦人科のサイトにまで、同様の書き込みがありました。
つまり、「子供はタマゴで産みたい」と言う発想は、女性にとってはそれほど特別な感覚ではなく、女性俳人の中にも、あたしと同じように句にしようと思った人が多いはずです。そして、その人たちは、やはりあたしと同じように、秋吉久美子の名言のパクリになるからと、句にすることを諦めたはずです。これが、普通の感覚です。ですから、坪内さんの「玉子の娘を産みたいとかいう発想がとてもユニーク」と言う解説は全くの的外れで、あたしに言わせれば、「こんな皆が知ってる名言を平気でパクれる神経がとてもユニーク」と言うことになります。
今回の坪内さんの俳論は、「全人格をかけて」俳句に向かう、と言うことをベースに書かれており、とても充実した内容なのですが、いくら自分の結社の会員だからとは言え、鳥居真里子のパクリ句を取り上げてしまったことにより、一気に信頼性が無くなり、その全編の内容までもが希薄になってしまいました。
とても残念でなりません。