裏第十二話 プロの仕事
あたしの職業は、ヘアメークです。ひと言でヘアメークと言っても、街の美容室やサロンなどで一般の人を対象にするものから、タレントの専属ヘアメーク、舞台のお芝居やミュージカルなどを専門とする舞台メーク、コレクションショーや雑誌などでモデルさんを担当するヘアメークなど、様々なジャンルがあります。
あたしはフリーの「なんでも屋」なので、ポスターやパンフレットなどの商業広告を主体に、結婚式のブライダルメークから雑誌のグラビアのモデルやテレビ番組のタレントのメークまで、何でもこなします。
一般の人でお寿司を握れる人はなかなかいませんが、お寿司屋さんはプロですから、もちろん上手にお寿司を握ることができます。でも、あたしの職業の「メーク」は、一般の女性が誰でもすることですし、中には、そこらのプロよりも上手な人もたくさんいます。
それでは、一般の女性が自分でするメークと、あたしたちプロのメークとは、どこが違うのでしょうか?
一般的に「お化粧」と言うと、顔の欠点をカバーするものだと思っている人が多く、実際に、お化粧する女性の大半が、毎朝必死になって、細い目が少しでも大きく見えるように、低い鼻が少しでも高く見えるようにと、自分の欠点をカバーするために時間をかけています。
でも、あたし達プロのメークは、根本的な理念が違うのです。プロの仕事とは、欠点をカバーするのではなく、その人の一番魅力的な部分を引き出すものなのです。
どんな人にも、必ず本人の気づいていない魅力的な部分があります。そこを見つけ出し、その魅力を前面に引き出したメークをすると、欠点など気にならなくなってしまうのです。
場合によっては、本人が欠点だと思っている部分が、逆に魅力だったりすることもあります。
自分のポッチャリした顔が嫌いな人は、何とか顔の輪郭を隠そうと、ホホからアゴにかかるように両サイドに髪を下ろしている場合が多いのですが、顔にかかる髪の重たい印象のせいで、せっかくの顔の中のチャームポイントまでが隠れてしまっているのです。その上、欠点を隠そうとする行為自体が自分の積極性にもブレーキをかけてしまうので、性格も消極的になりがちなのです。
そう言った女性の場合は、髪を軽めの色にカラーリングして、サイドとバックにシャギー(髪のボリュームを減らすカット)を入れ、うっとうしいバングス(前髪)もサイドに流し、顔全体がちゃんと出るようにします。そして、眉と目を中心としたメークで、眠っていた魅力を引き出してあげます。すると、目や鼻や口などの各パーツの印象が強調され、顔の輪郭など気にならなくなります。このように変身した女性は、性格的にも明るくなり、とても積極的になります。
ヘアメークの知識がほとんどない男性は、「お化粧」と言うと、なにやら顔にベタベタと塗りたくり、別の顔に「化ける」と言うイメージを持っているようですが、あたしのお仕事は、その人の持つ本当の魅力を引き出し、外見だけでなく、心も美しく豊かにする力を持っているのです。
これは、俳句にも通じることなのです。対象物の中に隠された本質を引き出す、と言う作業は、まさしく客観写生俳句と言えるでしょう。
主観に偏った写生俳句と言うものは、細い目を大きく見せるようにメークしたり、顔の輪郭をヘアスタイルで隠したりするのと同じで、対象の本質を引き出すどころか、主観と言うファンデーションやアイシャドウを塗りたくり、そのものの持つ本来の美しさを消し去ってしまうのです。
滝落ちて群青世界とどろけり 秋桜子
冬菊のまとふはおのがひかりのみ 秋桜子
これらが、その最たるものです。
せっかくの滝の荘厳さ、冬の菊のはかない美しさが、分厚く塗りたくった主観と言うファンデーションによって、台無しになっているのです。
いくら客観写生と言ったって、対象を見て、それを言葉にするのは人間の脳みそなのですから、多かれ少なかれ主観が働いてしまうのは仕方ありません。しかし、前出の2句のように、読み手に感動を与えようと言うスケベ根性から、対象の本質を無視し、新装開店のパチンコ屋みたいに、主観の大出血サービスなんかされちゃったら、読み手はシラケちゃうだけです。
だいたい、こんな大それた表現が許されるのは、ヨハネパウロの爺ちゃんやマザーテレサ、ブッダくらいではないでしょうか?
人間とは思えないような残酷な手口で野良猫を殺すような秋桜子が、何言ってんだって感じです。
秋桜子に代表されるような主観を売り物にした句は、作者の目方を超えた大げさな表現が鼻につき、それが「リアリティーの欠如」を増幅させています。俳句には、目に見える実(じつ)の世界と頭の中で想像する虚(きょ)の世界がありますが、俳句における芸術性を高めようとして、目に見えるものまでも虚の世界として表現しようとしたのが、秋桜子の失敗の原因でしょう。
人間の目に見える実の世界は、人間の主観を働かせて見たら、美しいものばかりではありません。しかし、この世に生まれて来た全ての生命の本質は、全て美しいものなのです。主観を捨て、見たままを切り取れば、どんなに醜いものでも、美しく光り輝くのです。
これこそが、対象の本質を引き出す作業であり、あたしたちプロのヘアメークの仕事と共通している部分なのです。
主観を厚塗りして対象の本質を隠してしまう秋桜子のような俳句は、細い目を大きく、低い鼻を高く見えるようにしているシロートのメークと同じです。
せっかく俳句と言う素晴らしい詩と出合ったのですから、いつまでも主観に頼ったシロートメークなどしていないで、客観写生によって、対象の本質を引き出すプロの力を身につけるべきなのです。
それが、対象の魅力だけでなく、自分自身の魅力をも引き出すことにつながるのですから。