裏第十四話 タマちゃんとゴロー
今や「タマちゃん」と言えば、多摩川に迷い込んで来たことからその名がついた、アゴヒゲアザラシのタマちゃんのことでしょう。
「タマちゃんを見守る会」だとか「タマちゃんのことを想う会」だとか、本人、否、本アザラシからしてみれば、迷惑この上ない、ワケの分からない団体の出現により、ヒマ人っていっぱいいるんだなぁ~って言うか、アメリカがイラクにウラン爆弾を投下して無差別殺人を繰り返してる時に、日本人のオメデタさ加減を世界中に露呈したのが「タマちゃん騒動」です。
でも、アザラシのタマちゃんが現れるまでは、タマちゃんと言えば、日曜日の夕方6時からのアニメ「ちびまる子ちゃん」に出てくる、まるちゃんの親友、タマちゃんや、そしてそのあと6時半からの「サザエさん」に出て来る、猫のタマを思い浮かべるのが一般的でした。サザエさんと言えば、あたしが生まれるずっと前からやっているマンガです。猫のタマがいつ頃から登場したのかは分かりませんが、それなりに歴史のあるキャラクターなのでしょう。
この「タマ」と言う名前は、犬の名前の「ポチ」と同じように、日本の猫の代表的な名前とされています。犬のポチは、フランス語の「かわいい」と言う意味の「プチ」を語源としているそうですが、猫のタマは、「玉のように丸くかわいい」と言う、とても日本的な語源を持っています。
さて、玉のようにかわいくて、あたしの大好きな猫ですが、俳壇での「タマちゃん」と言えば、何と言っても橋本多佳子でしょう。
無類の猫好きで、その生涯、常に猫をそばに置いていた多佳子ですが、そんなことよりも何よりも、多佳子と言うのは俳号で、本名は「多満(たま)」と言うのです。
幼い頃は「タマ、タマ」と呼ばれることが、猫を呼んでいるようでとても嫌だったそうですが、それが転じて、無類の猫好きになってしまったのです。
乳母車夏の怒涛によこむきに 多佳子
など、母性を強く感じさせる句の多い多佳子ですが、赤ちゃんと同じように、玉のようにかわいい猫も、多佳子の母性本能を喚起させるのに十分な魅力を持っていたのでしょう。
多佳子の愛した猫は、初代が「パン」と言う名のトラ猫、2代目が外国人から貰った「ピエドロ」、3代目が真っ黒な毛並みが美しかった「クロ」、4代目が「シロ」、そして5代目の「ゴロー」と言うアカトラが、17年も多佳子とともに暮らした一番の愛猫です。
このゴローは、とっても大きな猫で、特にその顔の大きさはハンパじゃありませんでした。色々なところに発表されているので、見たことのある人も多いと思いますが、多佳子が縁側の座布団に正座して、膝に大きな猫を抱いている写真があります。
その猫こそが、ゴローなのです。あまりの顔の大きさから、西東三鬼はゴローに「おにぎり」と言うニックネームをつけてしまったほどです。
人見知りなど一切しないどころか、来客があれば誰の膝にでも平気で乗ってしまうゴローは、西東三鬼だけでなく、平畑静塔、右城暮石、永田耕衣、古屋秀雄、波止影夫、榎本冬一郎、松本清張、沢木欣一、細見綾子、桂信子、津田清子.などの膝の上に、その大きくて重たい体を預け、目を細めてごろごろと喉を鳴らしたのです。今だかつて、これほどの俳人たちの膝に乗ったことのある猫がいたでしょうか。
多佳子の晩年を17年間もともにした猫、ゴロー。
初代のパンから数えて5代目の猫に「ゴロー」と名づけたのは、多佳子がそれまでの猫たちのことを忘れずに、心から愛していたと言う証でしょう。ゴローを抱く多佳子の心には、それまでの4匹の猫たちへの愛も満ちていたのです。
そして、このゴローは、多佳子が昭和38年に64才で亡くなった1年後、まるであとを追うかのように、この世を去ったのです。
垂直に崖下る猫恋果たし 多佳子