裏第十九話 俳句界のMAX
俳句は、ただ作ればいいってもんじゃなくて、多少は過去の俳句のことを勉強しなくてはなりません。それは、第一に「俳句は温故知新の文芸である」と言う観点からで、第二に「定型短詩の宿命である類句を避ける」ためなのです。
とは言え、芭蕉の時代からのことを全て勉強していたら、自分が俳句を作る時間もなくなっちゃうので、賢明なる皆様は「きっこ俳話集」を読んで、楽しくお勉強しましょう♪
さて、現代俳句を語る上で避けては通れないもののひとつに、「昭和の四S」があります。これは、すっごくクダラナイんだけど、山口誓子(せいし)、水原秋桜子(しゅうおうし)、阿波野青畝(せいほ)、高野素十(すじゅう)の四人の名前の頭文字をとっただけと言う安直なネーミングで、ホトトギスの第二期黄金時代を築いた四天王を表しているのです。このあとに、松本たかし、川端茅舎(ぼうしゃ)、中村草田男(くさたお)などが頭角を現して来て、この三人の頭文字をとって「TBK」と呼ぼうとしたのですが、どっかのエステサロンと間違われそうなので、ヤメにしました(笑)
なんて上段の構えから「面~!」‥‥じゃなくて、なんて冗談は置いといて、とにかく「四S」の名前くらいは暗記しとくように!ココ、試験に出ますからね!(笑)
さて、バカな前置きはこれくらいにして、今回の俳話は「四S」じゃなくて「四T」について書いてみたいと思います。
ナンでもカンでもジャンル分けするのが大好きだった、顔のデカいオッサンは、四Sに続いて四Tを作りました。それは、橋本多佳子、三橋鷹女(たかじょ)、中村汀女(ていじょ)、そして自分の娘、星野立子(たつこ)の四人です。女性のグループと言えば、2人ならピンクレディー、3人ならキャンディーズ、そして4人なら、何と言ってもMAXです。そう、顔のデカいオッサンがプロデュースした「四T」とは、言うなれば、俳句界のMAXだったのです。
俳句と言う形式を重んじながら、その中で自分を表現し続けた多佳子は、MAXで言えばリーダー格のナナ、時には形式を崩すことによって、自己の潜在的な部分を表現した鷹女はレイナ、普遍的な日常を自分の目の高さで詠み続けた汀女はミーナ、そして親の七光りで自由奔放にやりまくってた立子はリナ。
まさしく、俳句界のMAXと呼べるでしょう。(ちなみに、現在のMAXはミーナが脱退し代わりにアキが入っていますが、今回の俳話では、歌ダンスともに最高水準だった初代MAXを例に挙げて書いています。)
さて、この四Tと言う俳句界のMAXのメンバーは、作品だけでなく、その活動においてもそれぞれの個性が顕著でした。
自由奔放な立子が、実力も伴なっていないのに、親の七光りで「玉藻」と言う結社誌を創刊したのは、昭和5年のことです。これは、俳句史上、初めての女性主宰と言うことになります。
それに比べ、しっかり者の汀女は、自他ともに認める実力がついた昭和22年に「風花」を創刊します。そして、翌23年、多佳子の「七曜」が創刊されます。さすが、俳句界のナナさん!自分の結社の名前に、ちゃんと「七」を入れてるとこがニクイですねぇ~(笑)
ともあれ、立子、汀女、多佳子の三人は、それぞれの結社を持つことになったのです。しかし、十七音に収まりきらないマグマを胸の内に秘めていた鷹女は、決して自分自身を不自由にしてしまう結社などは持たずに、活動を続けていました。
さすが、俳句界のレイナちゃん♪
権威主義に流れてしまった他の三人と違い、常に自分の創作活動を第一に考えていたので、富沢赤黄男や高柳重信の「薔薇」にゲストとして参加することはあっても、基本的には自由でいたのです。
ですから、鷹女に憧れて、彼女の作品を読んだりマネしたりする追っかけファンの女性はたくさんいましたが、彼女が自ら弟子をとって指導するようなことはありませんでした。あたしがMAXのレイナちゃんに憧れて、ヘアメークやファッションをマネしたり、あちこち追っかけまわしたりはしても、直接ダンスを指導してもらえないのと同じです(笑)
それぞれが好き勝手にやっていた四Tですが、それでも当時の俳壇に与えた影響は、とても大きかったのです。四Tが登場するまでは、所詮、俳句は男性のものであり、まだどこかに「女は短歌でもやってろ!」って言う、時代錯誤の風潮が残っていました。
その男尊女卑の最たるものが、ホトトギスの「台所雑詠」です。
顔のデカいオッサンが、女性の俳句を奨励するために、大正5年にホトトギスの中に作った女性用の投句コーナー、それが「台所雑詠」です。主旨は素晴らしいですが、そのネーミングたるや、現代だったら差別用語ギリギリのラインで、たけしのTVタックルの田島陽子にぶっ飛ばされることウケアイでしょう(笑)
そんな虐げられた女性俳人達を狭い台所から広い世界へと解き放ってくれたのが、何を隠そう、俳句界のMAX「四T」だったのです。
彼女達の活躍が、女性俳人の社会的地位を確立し、それまで家人に見つからないように、コソコソと俳句を作っていた女性達が、人前で堂々と句帳を広げられるようになったのです。
しかし、その四Tが活躍できた陰には、それ以前に、虐げられた状況下で必死に俳句を作って来た、阿部みどり女、長谷川かな女、杉田久女、竹下しずの女などの、素晴らしい先達の努力があったからこそなのです。
そして、戦前から戦後にかけての四Tの活躍が、細見綾子や野澤節子、桂信子や津田清子などの大作家の輩出へとつながったのです。
多佳子、鷹女、汀女、立子の四Tが初代のMAXなら、綾子、節子、信子、清子の四人は、ニ代目MAXと呼べるでしょう。この四人の活躍が、「女流俳句」などと言う時代錯誤の差別用語を平気で口にする男性俳人の数を激減させた功績は、閉鎖的な俳壇の歴史の中でも、突出したものだったのです。
とは言え、ニ代目MAXのメンバーも、皆、大正生まれ。ひとり、ふたりといなくなり、残ったメンバーも80才以上です。
つまり、21世紀を迎えた今こそ、次世代へと本物の俳句を伝えて行くために、三代目MAXの登場が待たれているのです。
とりあえず、レイナちゃん役はあたしがやるとして、残りのメンバー、ナナ、ミーナ、リナを誰にするのか?
MAXのナナの本名は奈々子、ミーナの本名は美奈子、リナの本名は律子なので、名前で選ぶとしたら、ももすももの池上奈々子、沖の辻美奈子、同じく沖の藤野律子あたりにするか。でも、そしたら、レイナちゃんの本名は、そのまま玲奈だから、あたしじゃダメじゃん!俳壇で一番レイナに近い名前って言ったら‥‥豈(あに)の編集の高山れおな‥‥って男じゃん!(爆)
やっぱり、レイナちゃん役はあたしだな。でも、いくら俳句とは言え、仮にもMAXを名乗るんだから、俳句の実力だけじゃなく、ビジュアルも大切だ。そうなると、あたしと美奈子以外は、問題アリ?(笑)
ここはひとつ、オーディションでもやるしかないな。「容姿に自信があり、歌って踊れる女性俳人求む」なんて言って、黛まどかが来ちゃったらどうしよう!しかたないから身長で落とすか!(爆)
なんてタチの悪い冗談はサテオキ、絵画や音楽など、他の芸術の世界には、女流画家とか女流演奏家などと言う言葉はありません。
それなのに、いくら俳句界の初代MAXや二代目MAXががんばってくれても、時代錯誤もハナハダシイ総合俳句雑誌は、今だに一年に数回は「女流俳人特集」だとか「現代女流俳句の傾向」だとか、縄文時代の企画をやっています。
これは、戦前のホトトギスの「台所雑詠」、つまり「女は台所の隅で俳句を作ってろ!」と言う風潮が、言葉を変えただけなのです。
21世紀にもなって、まだこんなことをやってるようじゃ、本当にあたしが三代目MAXを結成しなくちゃならないかな?なんて思う今日この頃です。