裏第二十三話 バスルーム・ドリーマー
お風呂に入って、顔を洗い、体を洗い、髪を洗ったら、濡れた体にバスタオルをくるっと巻き、冷蔵庫へ。
フリーザーから、凍らしてあるロックグラスとビーフィーターのジンを取り出し、大きめの氷をひとつ入れ、とろとろに冷えているジンを半分ほど注ぐ。冷蔵庫のドアポケットからライムを出して、ジンの半分ほどの量を注ぐと、濃いめのジンライムの完成だ。
短夜やライムの底にジンの揺れ きっこ
急いでバスルームに戻り、バスタブのお湯をぬるめにして、通常の三倍ほどのバスクリンを入れる。そして、照明を消し、ブラックライトに切り替える。ブラックライトは、システムごと買うと高いので、東急ハンズで部品を買って来て、自分で組み立てたものだ。
まっ暗なバスルームの中で、バスクリンを入れたお湯だけが、ブラックライトの効果で、蛍光塗料のように発光し始める。その光る液体の中へ、ゆっくりと体を沈める。
青白きブラックライトといふ白夜 きっこ
防水のためにジブロックに入れてあるリモコンを操作して、MDを動かす。バスルームの中に、フェイ・ウォンの「夢中人」の広東語バージョンが、大きな音で流れ始める。英語よりも、フランス語よりも、日本語よりも、やっぱり広東語が一番美しいと思う。
発光する生ぬるい液体に胸まで浸かり、グラスの氷を指で回し、キンキンに冷えたジンライムを喉に流し込む。グラスをバスタブの縁に置き、肩まで体を沈め、目を閉じる。リピートボタンを押してあるので、「夢中人」が何度も繰り返される。
三度ほど繰り返されたところで頭の中の雑念が消え、心の中のさざ波が、静かな凪へと変わって行く。
夕凪や十分間のキスの果て きっこ
バスルームの棚から綿棒を取り、たっぷりとシーブリーズを染み込ませ、耳そうじをする。残りのジンライムを飲み干し、またバスタブに肩まで浸かり、目を閉じる。スースーする両方の耳の穴に、天使のようなフェイの歌声が吸い込まれて行く。
もはや、バスタブの中は羊水となり、あたしは胎児となって、プカプカと浮かんでいた。
羊水に揺られて夏の果実かな きっこ
フェイの歌声に包まれながら、あたしは、この世に生まれてから今までのことを早送りで感じ、そしてそのイメージは現在を通り越し、自分が死に、そしてまた別の命に生まれ変わり、また死に、また生まれ変わり‥‥
そのまま、どれくらいの時間が過ぎただろうか。
ハッと我に返ったあたしは、リモコンの入ったジブロックを手に取り、MDをEnya(エンヤ)のアルバムに変えた。Enyaの曲は、加速していたあたしの前頭葉を少しづつ通常の速度に戻してくれる。
そして、断片的な過去の記憶がジクソーパズルのように組み合わさり、現実の世界へと戻って来る。
夏の夜の港へ帰り来し湯舟 きっこ