裏第二十五話 からんからん
まず、次の句を読んで下さい。そして、句の景を頭の中にイメージしてみて下さい。
海を見てそれからと言ふ初詣
さて、どんな景をイメージしたでしょうか?
あたしは、若いカップルが大晦日から元旦にかけてドライブして、海の近くの神社へと初詣に行った景をイメージしました。そして、初詣に向かう車内での、恋人どうしの会話のように感じました。
あたしと似たような景をイメージした人もいると思うし、全く違う読み方をした人もいると思います。
この句の作者は、石井則明さんと言う、ある結社の会員の方です。名前を伏せたのは、作者が男性か女性かと言うことによる、句に対する先入観を無くすためです。
俳人の夏井いつきさんも、何の予備知識も無くこの句を読み、あたしとほぼ同じ景をイメージしました。
そして、「新鮮で明るい句」だと思ったそうです。
いつきさんは、稔典さんの「船団の会」の同人で、自らも俳句集団「いつき組」を作って組長をハッている元気なお姉さんです。高校生たちに俳句の指導をしたりもしているので、他の俳人よりは、若い感性の句をたくさん読んでいるはずです。
つまり、いつきさんは、キャリアの面でも状況の面でも、俳句を鑑賞する力は申しぶんないはずです。
さて、それでは、この句の作者、石井則明さんの背景を紹介しましょう。石井さんは、千葉県の館山で、海辺の民宿を営んでいて、船で漁に出る漁師さんでもあるのです。この予備知識を持って、もう一度この句を読んでみて下さい。
海を見てそれからと言ふ初詣 石井則明
作者の背景を知ってから読むと、ペチャクチャとおしゃべりする若いカップルの楽しそうなドライブ風景は消え去り、初漁のために海の様子を気にかける、無口で無骨な漁師の表情が浮かんで来たでしょう。そして、「初詣」と言う季語の持つウエイトも、神様などたいして信じていない若いカップルの軽々しいものから、誰よりも信心深く、海に命を賭ける漁師の厳粛なものへと変わったはずです。
俳句は省略の文芸ですから、ある程度は、読み手によって違ったイメージに読まれてしまってもしかたありません。しかし、ここまで作者の意図したものと違った読み方をしてしまったと言うことは、作品の作り方に問題があるのでしょうか?
しかし、作者は、何の他意もなく、自分の心情を素直に句にしただけであり、そしてこの句は、この結社誌で、とても高く評価されているのです。
と言うことは、あたしやいつきさんの句を読む力が不足していたと言うことなのでしょうか?
岩鼻やここにもひとり月の客 去来
「去来抄」によると、この句の「月の客」とは、作者の去来は「他人」を詠んだと言っていますが、この句を読んだ芭蕉は、「作者自身」である、と解釈しています。
この例に対して、「去来の句がヘタクソなのだ」「いやいや、芭蕉の句を読む力が足りないのだ」などと議論できるでしょうか?
俳句とは、作者の意図に反した解釈が許される唯一の文芸なのです。つまり、初詣に行ったのは若いカップルでも漁師でも良く、月の客は他人でも作者でも良いのです。
素麺のからんからんと来たりけり きっこ
これは、先日、あるネット句会に出したあたしの句です。
その句会の主宰には、「(前略)素麺を提げて人が訊ねてきた、ということ。「からんからん」はさしずめ下駄の音あたりです(後略)」と解釈されました。
しかし、あたしは、お蕎麦屋さんで注文したお素麺が運ばれて来る時の氷の音を詠んだのです。正しく伝わらなかったのは、「からんからん」と言うオノマトペが失敗したわけではなく、「来たりけり」に問題があるのです。ただ「来た」ではなく、「運ばれて来た」とすれば、句意は正しく伝わったでしょう。
もちろん、投句する前に、この形では正しく伝わらない可能性が高いと思い、色々と考えてみました。
素麺のからんからんと運ばれり
こうすれば、お素麺の状態は分かりやすくなりますが、お素麺はあたしのところじゃなくて、よそのテーブルへと運ばれて行ってしまいます。
素麺のからんと運ばれ来たりけり
これでは、眼目の「からんからん」が消えてしまう上に、中8の字余りになってしまいます。字余りの句では、涼しさが半減してしまいます。
素麺のからんからんと運ばれ来
句意は正しく伝わりそうですが、切れ字による余情がなくなってしまいます。
そして、違った解釈をされる可能性があっても、あえて最初の形で投句したのです。なぜなら、あたしが一番伝えたかったことは、自分のところに「涼しさ」がやって来た、と言うことであり、「素麺」と「からんからん」だけを言っておけば、どのように解釈されようとも、その想いは伝わると判断したからなのです。
実際に、「下駄の音を鳴らして、素麺を提げた人が訪ねて来た」と読まれても、その想いは伝わっていると思います。
俳句では、「情報を正しく伝える」と言うことも大切ですが、それ以上に、「想いを正しく伝える」と言うことが大切なのです。
「情報」は十七音の言葉として、どの読み手の目にも見えるものですが、言葉にしていない作者の「想い」は、その十七音を手がかりにして、読み手に感じとってもらうしかないのです。
俳句は新聞記事とは違うので、極論で言えば、作者の意図した景とかけ離れた解釈をされても、その根底にある「想い」が伝われば、それで良い文芸なのです。
初心のうちは、自分の見たもの、感じたことなどを正しく伝えるために言葉を選び、省略し、推敲をしていますが、ある程度の作句力がついて来たら、今度は「自分の想いを伝えるための作句」を身につけて行くことが、次のステップなのです。
閑や岩にしみ入蝉の声 芭蕉
この句はとても有名なので、俳句をやっていない人でも、知っている人は多いでしょう。そして、俳句をやっている人なら、たぶん知らない人はいないと思います。
俳人ならば知っていて当然のこの句ですが、それでは、この句の中の蝉は、どんな声で鳴いているのでしょうか?
ミーンミーンミーン、ジージージー、それとも、オーシーツクツク、でしょうか?他にも、色々な蝉の鳴き声があります。
斎藤茂吉は、この蝉をジージージーと鳴くアブラゼミだと言いました。それに対して、小宮豊隆は、ニイニイニイと鳴くニイニイゼミだと反論しました。血気盛んな二人は、お互いに一歩も譲らず、口角泡を飛ばしながら、大論争を繰り広げました。
ジージーだ!いや、ニイニイだ!と言う、この子供のケンカみたいな、否、ジーさんとニイちゃんのケンカみたいな言い争いは、収拾がつかなくなり、結局、芭蕉がこの句を詠んだ時期に現場まで行き、実際に調べてみることになりました。
芭蕉がこの句を詠んだのは、元禄2年(1689年)5月27日、新暦に直すと7月13日になります。おくのほそ道のちょうど折り返し地点、尾花沢で紅花畑を見て、そのあと地元の人たちと句会をひらき、それから大石田までの山道の途中、立石寺(りっしゃくじ)で詠んだ句です。今で言えば、宮城県から山形県へ向かう山越えルートで、やっと山形に入った辺りです。
そして、7月13日、山形県の山奥にある立石寺まで足を運んだ斎藤茂吉は、その時期、関東以南では当たり前のアブラゼミが、まだ涼しいその地域には全然いないのだと言うことを知ったのです。
しかも、アブラゼミが一匹もいなかっただけじゃなく、茂吉の頭上では、小宮豊隆の勝利を祝福するかのような、ニイニイニイニイと言う大合唱が‥‥。
と言うワケで、芭蕉の「閑や~」の句に出て来る蝉は、ニイニイゼミなのです。この話、「トリビアの泉」に送ったら、「75へぇ~」くらい貰えるでしょうか?(笑)
さて、この茂吉と豊隆のセミバトルは、負けたほうがセミヌードになって、渋谷の駅前の電柱に上り、セミの鳴きまねをすると言う罰ゲームがありました。そのため、負けた茂吉は、男らしくフンドシ一丁で電柱に上り、渋谷の駅前交番のお巡りさんに、こっぴどく叱られたとか叱られなかったとか(笑)
こんな話、知らなくたって、俳句を鑑賞することはできるぞ!‥‥と言う人もいると思いますが、それでは、次の句を読んでみて下さい。
蝉の声怒る茂吉を敬はむ 波郷
この石田波郷の句は、もちろん二人のセミバトルを踏まえた上で、詠まれた句なのです。そして、当初は頭から湯気を立てて、部屋の湿度を保ちつつ、カンカンに怒っていた茂吉が、ちゃんと現場検証をして、自分のほうが間違っていたと分かったら、キチンと罰ゲームを受けたと言う潔さを讃えているのです。
俳句と言う底なし沼は、一度足を踏み入れると、なかなか抜け出すことができません。あたしみたいに首まで埋まっていると、二度とシャバには戻って来れません。
でも、底なし沼に埋まった全身の毛穴から、俳句に関する全てのことを吸収し続けているので、前出の波郷の句を見た瞬間に、「あっ!これは茂吉と豊隆のセミバトルのことだな♪」って、すぐに分かるのです。
こんな楽しいことがあるから、ますます沼から出られなくなっちゃうけど、泥はお肌にいいって言うし、美容のためにも、まだまだ俳句の底なし沼に埋まっているつもりです♪
さて、芭蕉と言えば、もう一句、俳人じゃなくても知っている有名な句があります。
古池や蛙飛び込む水の音 芭蕉
「閑や~」の蝉がニイニイゼミなら、この「古池や~」の蛙は、何ガエルなのでしょうか?
これにも、ヒキガエル説、ウシガエル説、アマガエル説などがありますが、こちらの句に関しては、まだ解明されていないのです。
ちなみにあたしは、環境カウンセラーの田中進氏のツチガエル説を支持していますが、このお話は、また次の機会に♪