第六話 ひらひら
雪が「しんしん」と降る、とか、桜が「ひらひら」と散る、とか、こう言った擬音を文字で表すものを『オノマトペ』と言います。
『オノマトペ』って聞くと、なんかタモリが昔やってたハナモゲラ語みたいだし、ゴロだけ見るとアイヌ語みたいだけど、レッキとしたフランス語で、文学の世界では、普通に使われています。
日常で一番『オノマトペ』を目にするのは、マンガの世界かも知れません。マンガ雑誌のページをめくると、「ババ~ン!」「ドキュ~ン!」「ギュオ~ン!」などなど、どのページもオノマトペの洪水です。
擬音と言うものは、上手に使えば、何十文字の詩にも匹敵する世界を表現しますし、下手な使い方をすれば、せっかくの詩が台無しになってしまいます。
俳句は、たった17音しかありません。ですから、たった1文字がとても重要になります。
同じ句でも、接続詞が1文字替わっただけで、読み手に伝わる世界が、180度変わってしまうこともあるのです。
これほど、たった1文字に意味のある詩形は、世界中の短詩形を調べてみても、他にありません。そんな俳句の世界において、擬音を使うと言うことは、とても覚悟のいることなのです。
どうしてかと言うと、季語の他に、少ない文字数の中の何割かを『オノマトペ』が占めてしまうので、他の言葉の入る余地がほとんど無くなってしまうからです。これは、一句の中で同じ言葉を繰り返す『リフレイン』も同じことです。これらの手法を使った句は、『オノマトペ』や『リフレイン』自体が眼目となるので、その句が成功するか失敗するかは、どんな擬音を使うか、どんな言葉を繰り返すかにかかって来ます。
冒頭に書いたような「雪がしんしん」とか「桜がひらひら」、つまり、これらは、使い古されたオノマトペであり、これらの擬音語を俳句に使っても、全く新しみがなく、ただの月並みな駄作になるだけです。
例えば、虚子の弟子、川端茅舎(ぼうしゃ)の句で、次のような作品があります。
『ひらひらと月光降りぬ貝割菜』
栽培している貝割菜に、月の光が降りそそぐ様を「ひらひら」と表現しています。月光が貝割菜に降りそそいだ、と言うだけでは、別に大した句でもありませんが、この「ひらひら」と言うオノマトペの成功が、この句の世界をぐんと広げ、後世へ残すことのできる秀句へと昇華させています。
同じ「ひらひら」と言うオノマトペでも、桜や紙吹雪などに使うと、月並みでオリジナリティの無いものになってしまいますが、この句のように成功する例もあるのです。
オノマトペの成功例として、良く入門書などにあげられる句に、『鳥わたるこきこきこきと缶切れば』秋元不死男『チチポポと鼓打たうよ花月夜』松本たかし、などがありますが、どちらの句の擬音語も、オリジナリティにあふれています。
あたし自身、オノマトペが大好きで、俳人の中では多用するほうだと思っています。何故かと言うと、言葉で書くと説明っぽくなってしまうような描写の場合、擬音語で表現すると見たままの世界を伝えることができるからです。一句上で、なるべく多くのことを語らないように努めているあたしにとって、オノマトペは、時には季語以上の力を発揮してくれる、頼もしい武器なのです。