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スレッドNo.81

裏第二十七話 俳諧と言う古池に飛びこんだ蛙

  古池や蛙飛びこむ水の音  芭蕉

この前の「ニイニイゼミ」の俳話が好評だったので、お約束通り、今回は、この句の「カエル」について、と言うか、この句についてのお話を書いてみたいと思います。

この句に登場するカエルは、何ガエルなの?

この古池って、どんな池なの?

「古池に」じゃなくて、なんで「や」で切れているの?

などなどの疑問が一発で解けちゃう今回の「トリビアの泉」‥‥じゃなくて「きっこの俳話」、とったもタメになるはずですよん♪

さてさて、前回のニイニイゼミの句は、即吟、つまり、おくのほそ道の道中、立石寺に立ち寄った際、その場で詠んだものですが、こちらのカエルの句は違います。
深川の芭蕉庵で、庭に背を向けてボケーッと横になっている時に、カエルが水に飛び込む音が聞こえ、それで「蛙飛びこむ水の音」と言うフレーズだけが生まれました。そして芭蕉は、そのフレーズをしばらく温めていたのです‥‥って言うか、上5が思いつかなくて、そのままにしていたのです。

時は貞亨3年(1686年)、芭蕉43才、おくのほそ道へと旅立つ3年ほど前のことです。

芭蕉庵って言うのは、もともとは、芭蕉の俳句仲間、杉山杉風の別荘なんです。日本橋に住んでいた杉風は、普段あまり使っていなかった深川の別荘を住むところの無かった芭蕉にタダで提供してあげていたのです。
あたしも、誰かがお部屋をタダで貸してくれたら、もっと俳句に没頭できるのになぁ‥‥(笑)
さて、その芭蕉庵の庭先にあった「カエルが飛びこんだ池」って言うのは、ホントは池なんて言う風流なものじゃなくて、魚のイケスだったんです。
これは、杉風が、大川(隅田川)で捕って来た川魚を入れて、飼ったり養殖したりするために使っていたのです。
それでは、その古池ならぬイケスは、どのくらいの大きさだったのでしょうか?

「火事と祭りは江戸の華」なんて言うけど、この句が生まれる4年ほど前、駒込のお寺から出火した大火事があって、その時、この芭蕉庵も類焼してしまったのです。燃えさかる庵から命からがら逃げ出した芭蕉は、このイケスに頭から飛び込んで、何とか難を逃れたのです。ですから、それなりの大きさのイケスだったことが推測されます。
もう一丁ついでに推測しちゃうと、もしかするとこの時、芭蕉は、『古イケス芭蕉飛びこむ水の音』 な~んて一句詠んでたかも?(笑)
さて、軽い「ギャ句゛」もはさんだことだし、ここでちょっと、今回の主役である「カエル」が、芭蕉以前には、歌の世界ではどのように扱われていたのか、少しルーツを探ってみましょう。

和歌の世界では、カエルは「カエルと言う生き物」としてではなく、ウグイスなどと同じように、その美しい「鳴き声」として詠まれています。
紀貫之は、「花に啼く鶯、水に棲む蛙の声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける」と言って、カエルの鳴き声をウグイスと並ぶ美声として絶賛しています。
つまり、和歌の世界で「かはづ」と言えば、青空球児好児みたいにゲロゲ~ロって鳴くカエルじゃなくて、美しい声のカジカガエルのことであり、そしてその声を指していたのです。
そして、カジカガエルは、ヤマブキの咲く場所に多く見られると言うことから、カエルを詠む時にはヤマブキを取り合わせる、と言うひとつのスタイルが出来上がったのです。
この時代の和歌を調べてみたら、「蛙」と「山吹」を取り合わせてある歌は、200首近くもありました。

この、「カエル=鳴き声」と言う解釈は、和歌から俳諧へと引き継がれて行きます。例えば、芭蕉以前の俳諧では、次のような句があります。

  手をついて歌申しあぐる蛙かな  宗鑑

この山崎宗鑑の句は、和歌のようにカエルの歌声自体を詠んだものではありませんが、「手をついたカエルの姿が、まるで歌を歌っているようだ」と詠んでいるので、そこに和歌の流れが感じられます。

さて、話を貞亨3年の芭蕉庵に戻しましょう。
芭蕉庵には、杉風、其角、路通などの他に数人が集まり、恒例の句会が行なわれていました。その座の中で、芭蕉は、「蛙飛びこむ水の音」と言うフレーズを作ったのだが、なかなか上5が決まらない、どうしたものか、と句会のメンバーにアイデアを募りました。

そこで其角は、「古今集にも〈蛙なく井出の山吹ちりにけり~〉と言う有名な歌があるように、昔から、きっこと言えばルイ・ヴィトン、蛙と言えば山吹です。ですから上5は〈山吹や〉としたらいかがでしょうか。」と提案しました。

それに対して芭蕉は、「確かに、きっこさんにヴィトンのバッグはとても良く似合いますが、蛙に山吹と言う取合せは、ただ美しいだけで、逆にそのわざとらしい美しさがリアリティーを欠くことにつながってしまいます。」と言って、「古池や」と言う案を出したのです。
「それじゃあ当たり前すぎて、全然面白みがない。」と言う数人に向かい、芭蕉はこう言いました。

「蛙は、古く和歌の時代から〈鳴き声〉としてしか捉えられていませんでした。しかし私は、その鳴き声ではなく、水に飛びこんだ音を聞いた時に、そこに〈生〉を感じたのです。その音は、まさしく〈自然の声〉であり、静寂の中にその音が現れ、そしてまた静寂へと戻るほんの一瞬の間、私は〈自然〉と一体化したのです。〈山吹や〉と言う五文字は、風流で華やかですが、〈古池や〉と言う五文字は、質素だけれども〈実〉があります。」

こうして芭蕉は、叙情よりもリアリティーを選んだのです。

和歌の時代から、生命の歓びとしてではなく、風流な鳴き声として捉えられてきたカエル。そのカエルを生き物として捉え、鳴き声ではなく、水に飛びこんだ音を詠んだ芭蕉。
つまり芭蕉は、「蛙」と言う叙情だけだった季語に命を吹き込み、平面の世界から立体の世界へと、カエルをジャンプさせたのです。
そこには、生命の歓びとともに、季節に対する芭蕉の心があるのです。

それが、「古池や」なのです。
この古池‥‥とは言っても、ホントはイケスだけど(笑)は、決して、「古くひなびた池」と言う意味ではないのです。これは、新米が出回ったとたんに、それまでのお米が「古米」と呼ばれてしまうのと同じ解釈なのです。
つまり、季節が変わり、新しい春を迎えたことにより、そこにある池は「古池」と呼ばれてしまうのです。
そして、そこに春の生命であるカエルが飛びこんだことにより、その古池も、新しい春を迎えるのです。
ですから、「古池や」と上5を「や」で切り、詠嘆を与え、「前のシーズンの池」に対しての感慨を表し、そして一拍おいてから新しい春の使者、カエルを飛びこませることによって、その池も、ようやく春を迎えたと言うことを表現しているのです。

もしもこの句が「古池に」であれば、池もカエルも前のシーズンのままであり、新しい春はやって来ないのです。

さてさてさてさて、それではいよいよ本題の、このカエルは何ガエルだったのか?と言う疑問の解明へと突入いたしましょう♪

ど根性ガエルのピョン吉は、「トノサマガエル~アマガエル~カエルに色々あるけれどぉ~こ~の~世~で1匹っ! 芭蕉に詠まれたぁ~××ガエルぅ~♪」って歌っていますが、このチョメチョメの部分を解明すればいいのです。
これは、ニイニイゼミの時と同じように、生物学的にキチンと検証しなければなりません。
当時、芭蕉庵があった場所に分布していたカエルは、トウキョウダルマガエルとツチガエルの2種類しかいません。トウキョウダルマガエルは、トノサマガエルに良く似た外見をしていて、平均体長は、オスが60mm、メスが67mmです。
一方、ツチガエルは、体中にイボ状の小さな突起があることから、通称イボガエルと呼ばれており、平均体長は、オス41mm、メス50mmと、トウキョウダルマガエルよりも、ひと回りほど小さいのです。そして、その個体数としては、トウキョウダルマガエルの5倍以上も生息していました。

このあたりから推測すると、古池に飛びこんだのは、ツチガエルであった可能性が高いのです。
小泉八雲が、この古池の句を英訳してアメリカに広めた時、このカエルは「Frog」なのか「Frogs」なのか、つまり、一匹なのか複数なのか、と言うことで議論になりましたが、結局は一匹であった、と言う結論に達しました。
それは、「芭蕉は、とても小さい一瞬の音を聞き、そしてそれを〈自然の声〉と解釈し、新しい春の訪れを実感した。」と言うことからなのです。

300年以上も前のことだし、何よりも芭蕉自身が飛びこんだカエルを見ていないのですから、「絶対に××ガエルだった」と特定することはできません。
しかし、今まで述べたすべての状況から総合的に判断すると、生息数も多く、体の小さかったツチガエルである可能性が極めて高いと言えるでしょう。
芭蕉によって、和歌と言う閉鎖的な檻の中から開放されたカエルたちは、俳諧と言う自由な古池へピョンピョンと飛びこみ、元気に泳ぎまわることができるようになったのです。

  春雨や蛙の腹はまだぬれず 蕪村

  痩蛙まけるな一茶是にあり 一茶

  青蛙おのれもペンキぬりたてか 龍之介

  甕の水澄むや蛙の数匹の瞳 かな女

  睡蓮の葉よりも青き蛙かな みどり女

  青蛙ぱつちり金の瞼かな 茅舎

  水中に逃げて蛙が蛇忘る 暮石

  露の結界のどふくらかな青蛙 節子

  あまがへる仏足石の凹みへぴよん きっこ

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