裏第三十二話 ふだん着の俳句
俳句は、一年に一作だけ発表するような高尚な芸術などではなく、庶民が日常の生活を詠う日々の文芸です。ファッションに喩えるなら、フォーマルな「よそ行き」ではなく、カジュアルな「ふだん着」なのです。でも、毎日のふだん着だからこそ、逆にそのコーディネイトが難しいのです。
結婚式やお葬式、パーティなどのフォーマルな場なら、吊るしの礼服やレンタルドレスなど、上から下までその場に合わせたお決まりのファッションで済みます。だから、何も考えることはありません。
それに比べ毎日のファッションは、フォーマルな席と違い「決まり」がありません。だから、何を着たって自由な反面、その人のセンスだけでなく、人柄や主張までもが表れます。
街を歩いていると、「この人、一体どんなつもりでこんな変なカッコしてるんだろう?」って人がいっぱいいます。
でも、その人にしてみれば、そのカッコがその人自身であり、そのファッションセンスが、他の人たちにおかしなイメージを与えているのです。
そんなワケで、今回の俳話は、あたしのふだんのファッションを例に上げて、俳句のツボをクイクイッと押してみたいと思います。
あたしのふだんのファッションは、「外し」のテクニックが基本です。若い女性なら誰でも同意見だと思いますが、計算通りのカジュアルほどカッコ悪いものはありません。
Tシャツとジーパンだからスニーカー、フェミニンなブラウスとスカートだからかわいい靴、こう言うコーディネイトは、無難だけれども何の個性も無く、俳句で言えば、どこにでもあるような類想類句と同じです。
「外し」のテクニックと言うのは、行動的なTシャツとジーパンに、あえて華奢なパンプス、フリルのついたフェミニンなブラウスとスカートに、わざとワイルドなウエスタンブーツ、こう言うふうに、上からするすると下りて来たファッションを足元で崩すことなのです。
これは、季語の斡旋と同じです。「Tシャツとジーパン」と言う描写に「スニーカー」と言う季語を取り合わせれば、キレイにまとまりますが、そこら中に溢れていて、例えば俳句にしてみると、次のような句になります。
巻尺の一気に戻り運動会
しかし、ヒールの華奢な「パンプス」と言う季語を取り合わせると、月並みだった「Tシャツとジーパン」と言うファッションが、グッと個性的になります。
ここで気をつけるポイントは、外すと言ってもデタラメに外すのではなく、どこかに微妙につながりを持たせると言うことです。
上が白のTシャツ、下が普通のジーパンなのに、そこに紫のパンプスを持って来たら、もうバラバラで、これならスニーカーのほうがマシになってしまいます。俳句にすると、次のようになります。
巻尺の一気に戻り女郎花
このような場合は、帽子とか、リボンとか、アクセサリーとか、どこかにもう一ヶ所、パンプスと同じ紫を持って来るとまとまります。しかし、実際のファッションの場合や、詩でも音数の多い短歌ならそう言うこともできますが、俳句の場合は「もう一ヶ所、紫色を置く場所」がありません。
俳句は5・7・5、つまり、Tシャツ・ジーパン・靴、ですから、他のものを組み合わせる余裕はないのです。それでは、どのように外せば良いのでしょう。
例えば、黒地にピンクのロゴが入ったTシャツに、ピンクのパンプスを合わせる、ジャングルをイメージさせるような柄のTシャツに、ヒョウ柄やゼブラ柄のパンプスを合わせる、これが本当の「外し」なのです。
巻尺の一気に戻り流れ星
描写と季語は、一見全然関係ないように思えますが、シュルシュルと巻き上がる巻尺のスピード感と、一瞬で消えて行く流れ星とか響き合っているのです。これで、やっと人前に出せる俳句になりました。
しかし、この程度のファッションセンスは、あくまでも外を歩ける最低のラインなのです。ここから、さらに磨いて行かないと、そこらの「ちょっとセンスのいい人」で終わってしまいます。あたしの場合は、黒地にピンクのロゴが入ったTシャツに、ピンクのパンプスを合わせるところまでは、他の人と一緒です。でも、同じファッションの人と一緒に、誰かのお部屋にオジャマした時に、その違いが現れるのです。
同じようなピンクのパンプスでも、玄関で脱いでみると、もう一人のパンプスは中が白一色です。あたしのは、白地にピンクの水玉模様なのです。
ようするに、表面の17音だけからは見えない部分まで、ちゃんとコーディネイトさせているのです。
そして、お部屋に案内されるもう一人の足元は、どこにでもあるベージュのストッキング、あたしの足元は、Tシャツの色と合わせた黒の網タイツなのです。
ここまで考えてコーディネイトすると、先ほどの句は、こうなります。
巻尺の一気に戻り盆の市
「運動会」よりも離れていて、「女郎花」よりも近いのです。そして、「流れ星」のような単純な響き合いでなく、巻尺のスピード感と、お盆ののんびりした感じが、相対的に響き合っているのです。しかし、ただの「お盆」でなく「盆の市」としたことで、のんびりした中にも、大勢の人たちの動く姿があるため、裏だけでなく、裏の裏でも響き合っているのです。これが、パンプスの内側のデザインや網タイツなのです。
そして、現実的でありながら多読性のあるイメージを喚起するのです。これが、細部にまで気を配った、ひと味違う「外し」のコーディネイトなのです。
俳句は、ふだん着です。だから、「何でもいいや!」って思って、毎日同じジャージで過ごしたって、みんなと同じにTシャツ、ジーパン、スニーカーで出かけたって、別に構いません。また、ファッション誌の受け売りでグラビアのモデルとまったく同じカッコをしたって、上から下までブランド品で揃えたって、誰も文句は言いません。
でも、不特定多数の人たちに自分の姿を見せ、そのファッションで何かを伝えたり、自分を表現しようと思うのなら、徹底的にこだわるべきなのです。
ふだん着は、フォーマルな服装の何倍も、その人の心を表すのですから。
普段着に潮の匂ひ喪正月 花尻万博
普段着の心大切利休の忌 阿波野青畝
ふだん着でふだんの心桃の花 細見綾子