裏第三十三話 虚子の虚は虚言の虚
近年、少しは見直されて来た虚子だけど、あたしが俳句を始めたころは、まるでプロレスのヒール(悪役)みたいに、ほとんどの俳人からブーイングを浴びていました。なぜかと言うと、あまりにもワンマンで、デタラメで、自分勝手な嘘つきオヤジだったからです。
ここで断っておきますが、あたしは虚子が好きです。と言うより、虚子の句が好きです。
でも、よく勘違いされるのが、虚子が好きって言うとホトトギス派だと思われるんです。俳句を知らない人は、すぐに短絡的に「虚子=ホトトギス」って思うみたいだけど、現在のホトトギスを見ると、主宰から一般会員に至るまで、誰ひとり虚子を理解していないんだから、そろそろこんな見方をするのはやめて欲しいと思います。現在のホトトギスは、赤いセーターのオバサンが経営する、ただの俳句カルチャースクールなんですから。虚子の虚は虚言の虚、口偏をつければ「嘘」と言う字になります。
その名に恥じないように、虚子はたくさんの嘘をついて来ました。花鳥諷詠の嘘、客観写生の嘘、芭蕉に対する嘘、子規に対する嘘‥‥。
それらのすべては、自分の理論を正当化するためのものであり、デタラメにも保土ヶ谷バイパス‥‥じゃなくて、ホドがある!って感じです(笑)
だけど、虚子のスゴイところは、どんなにデタラメなことを言っても、誰にも文句を言わせないほどの素晴らしい俳句を作っていたので、黒いものを白と言っても、それなりの説得力があったのです。
虚子の終生のライバルと言えば碧梧桐ですが、花形満が星飛雄馬に勝てなかったように、力石徹が矢吹丈に勝てなかったように、ベジータが悟空に勝てなかったように、主人公ってもんは、どんなにデタラメなことをしたって、最後には勝つようにできてるんです。幼稚園児レベルの虚子のデタラメ理論に対して、大学院レベルのキチンとした理論で対抗した碧梧桐だけど、いかんせん実作がマッタクともなってなかったから、誰がどう見ても虚子のストレート勝ちになっちゃったんです。
ようするに、どんなに素晴らしい理論を並べた立てたって、実作がともなわなければ全く評価されないのが俳句の世界なのです。小泉は政治家だから良かったけど、もし俳人だったら、支持率0%でしょう(笑)
なんて、笑点の歌丸みたいな軽い政治批判もはさみつつ、虚子の大嘘のひとつ、「花鳥諷詠の嘘」について、じんわりと、やんわりと、現在のホトトギスが推奨する「使い古された表現」を使えば、真綿で首を締めるように書いて行きたいと思います。
この部分にツッコミを入れると、花鳥諷詠をよりどころにしてる現在のホトトギスの存在理由が消失しちゃうんだけど‥‥
ホトトギスなんか、消失したほうが俳壇のためになる結社だから、気にせずに話を進めます。
まずは、虚子のこの言葉。長いんだけど、正確を期するために、あたしのパールホワイトのマニキュアが乱反射する白魚のような指で、全文書き写します。
「俳句といふものが始まつて以来、宗鑑、守武から今日迄三四百年の間に種々の変遷がありましたが、終始一貫して変らぬ一事があります。それは花鳥風月を吟詠するといふ事であります。元来我等の祖先からして花鳥風月を愛好する性癖は強うございます。万葉集といふやうな古い時代の歌集にも、桜を愛で、ほとゝぎすを賞美し、七夕を詠じた歌は沢山あります。下つて古今、新古今に至つても続いて居ります。足利の末葉に連歌から俳諧が生れて専ら花鳥を諷詠するやうになりました。殊に俳諧の発句、即ち今日云ふ処の俳句は全く専門的に花鳥を諷詠する文学となりました。」
どっひゃ~~~!
こんな大嘘をついて、いいの? マジで?
って、読んでるあたしが心配しちゃうほどのデタラメ!
個人的な見解とかなら、多少の嘘をついたっていいけど、歴史的な事実をねじ曲げちゃうなんて、デタラメにも保土ヶ谷バイパス!‥‥って、コレはさっき言ったか(笑)
万葉からの和歌の世界は、確かに花鳥風月を詠ったものもありますが、それは決して本流では有馬温泉‥‥じゃなくて、ありません!
え? しつこいって?
この俳話、泡盛を飲みながら書いてて、そろそろ1本が空きそうなんで、カンベンしてね♪(笑)
万葉からの和歌の世界は、花鳥風月、つまり四季の移り変わりなどとは関係なく、人情を主軸にした世界であり、言葉の言い回しのテクニックによって、それぞれの作者が自分の知的センスを表現するものでした。
ましてや、連歌の発句から俳諧が生まれたのは、連歌のそれまでの花鳥風月に対して、もっと低俗で人間味あふれる世界への飛躍であり、初期の俳諧などは、現在のサラリーマン川柳に近い内容のものが主流だったのです。
なぜ、虚子がこんなデタラメをノタマッタのかと言うと、それは全て、自分の推奨する花鳥諷詠を正当化するためなのです。そのために、「万葉の時代から日本の詩歌の本流は花鳥諷詠だった」と言う大嘘をつき、花鳥諷詠こそが日本の伝統的な歌であり、それを推奨する自分こそが、日本の詩歌の正統な後継者である、と言うことを印象づけたかったのです。
だいたい、「花鳥諷詠」なんてテキト-な言葉を作ったのだって虚子なんだし、自分でも良く分からないデタラメな造語だから、あとから色んな嘘をついて、実態の無かったデタラメな言葉をオミコシに乗せて担ぎ上げようとしたんです。
その嘘にマンマと騙されて、今だにその邪魔くさいオミコシを担がされてる赤いセーターのオバサンと、その御一行様(笑)
そんな、お疲れ様って感じの人達はほっといて、話を進めましょう。
虚子をホトトギスの後継者にしようと考えた子規は、虚子に対して、俳句だけじゃなくて、もっと文学史の勉強をするように、何度も何度も何度も何度も口をスッパクして言ったんだけど、勉強嫌いで要領の良かった虚子は、ナンダカンダと逃げ回っていました。ようするに虚子は、正しい文学史などを学び、自分の考えに反する事実などを知ったところで、何の役にも立たないと思っていたのです。
虚子にとっての文学史とは、自分を正当化するための背景にしか過ぎず、嘘をつこうがデタラメを言おうが、まずは「自論ありき」だったのです。自論を正当化するためには、芭蕉の言葉から子規の言葉、そして、歴史的な事実までもねじ曲げ、嘘に嘘を重ねて来た虚子。
まさに、虚子の虚は虚言の虚なのです。
そして、自分の理解を超えたことに関しては、絶対に触れないようにして、自分のボロが出ないように、器用に立ち回って来たのです。
顔はデカイが背は低い、やることなすこと自己中心、その上、聞いてるほうが恥ずかしくなるような、すぐにバレる嘘を平気でつけるツラの皮の厚さ!
でも! でも! でも! 俳句はスゴイ!
それが、虚子なんです‥‥。
最後にもう一度言っておきますが、あたしは、虚子が、否、虚子の句が大好きなんです、悔しいけど‥‥(笑)
図書館註:再掲載に当たっては全俳話で誤字の校正と見易さの編集はやらせていただいていますが、原文の修正は基本的に行いません。しかしこの俳話だけは作者が「泡盛を飲みながら書いてて、そろそろ1本が空きそう」と泡盛は新酒が30度、古酒(クース)が43度とアルコール度が高く、作者が酩酊状態のため、晩年の武者小路実篤のように同じことを繰り返しているため(武者小路氏はしらふという違いはありますが)、図書館側で重複部分を削除しております。
なお、きっこさんの「大好きな虚子の句」は岩波文庫から『虚子五句集』(上下二冊)が刊行されています。虚子は生涯二十万句を詠んでいますが(時雨舎の山口亜希子代表が角川ソフィア文庫から虚子の俳句入門や子規の『仰臥漫録』を出してくれて、その時に虚子の20万句全句集を作るのが大前提と壮大な夢を語ってくれて応援していましたが「ホトトギス」が及び腰なので難しいでしょうね)、これは『五百句』(昭和12年)『五百五十句』(昭和18年)『六百句』(昭和22年)『六百五十句』(昭和30年)『七百五十句』(昭和39年、高濱年尾と星野立子編集の遺句集)に付録として『慶忌贈答句抄』が付いています。今井肖子さんは母の今井千鶴子さんから虚子の句集だけを読んでいればいいと言われたそうで、わたくしはきっこさんから『ホトトギス雑詠選集』だけを読んでればいいと言われたと、お互いに仏壇に入る前に俳壇に立ち寄ったのが同じだと笑いあいました。
なお、虚子は「選は創作なり」として生涯に亘り大正四年から『ホトトギス雑詠集』とそれらを精選した『ホトトギス雑詠全集』や『ホトトギス雑詠選集』を倦むことなく編み続け、戦前の昭和20年3月までの精選で虚子の死によって終わるのですが、昭和26年3月から高濱年男選に引き継いでからも『ホトトギス雑詠選集』は出ており、ハイヒール図書館では虚子選の雑詠集は大正4年の初版から全44巻、および高濱年尾選の昭和26年3月から五年分の『ホトトギス雑詠選集』まですべて所蔵しています。大正13年のアルス版『子規全集』全15巻も所蔵しています。ただし、毎日新聞社の『高濱虚子全集』全16巻は抄録が多く全集ではなく選集であり、東日本大震災で津波が浚って行きましたが惜しいとは思いませんでした。手抜きの全集は虫唾が走ります。不思議なことに『子規全集』は無傷でした。『ホトトギス雑詠選集』も東京の書庫に預けていたのでこれも無事でした。またチーム長は鎌倉在住でしたので、虚子や立子はじめホトトギス関連の古書も収集しており、特に虚子の欠陥全集を買う必要もありません。20万句に及ぶ虚子の俳句や雑詠全集や俳話集も新しく興さず、星野立子の全集の未完のままといい、なぜ「ホトトギス」は偉大な先達の伝統の遺産すらまともに継承できないのか不可思議な結社ではあります。そう言えば丸の内の「ホトトギス」をフリーパスにするから編纂やってよと言われたこともあったような・・・。
それはさておき、虚子と碧梧桐が対立した「虚碧対立時代」と言われた中でももっとも有名な虚子の俳論「現今の俳句界」(明治36年10月「ホトトギス」)の最後の「附言」を虚子がどのような俳句の未来を望んでいたのか参考のために引用します。本文は碧梧桐の「温泉百句」を完膚なきまでに失敗作として批判しているもので、百句すべてに「温泉」を入れて詠むこと自体無謀なので碧梧桐の勇み足なのですが、最後に虚子が言う「渇望に堪えない句」が虚子の呪術として俳句の未来の結界を作っているほど有名だからです。この結界にチャレンジしているひとりが岸本尚毅です。なお、原文は旧字旧仮名で新字新仮名でわかりやすく途中まで直してありますが、重要な部分は旧字旧仮名のままです。(文責猫髭)。
高濱虚子「現今の俳句界」附言
明治三十年頃であったと思うが、或る日、句会の席上で子規からこういうことを言われた。とかく天(特選)にする句は、初めはほんの候補作くらいに思って取った句か、もしくは句数が足りなくてあとから取り足した句などに多い、と。句会で高得点を得る句が極めて派手な句、どこかにすぐ人目をひくような強い動詞、珍しい名詞、巧みな語法などの句であることと照らし合わせてこの言葉を味わうと面白い。一流の句、飽きの来ない句、品格のよい句というのは何百句という句会のなかにあっても決して人目をまどわすような特異の光彩を放っているものではない。人目をまどわす特異の光彩には画家のいわゆる生(なま)の色が多い。上っ面がてかてかするものが多い。おとなしい色、底光りのするものはすぐには目に付かない。しかし長く見ているうちに一方は飽き、一方はますますおもむきを増す。子規の言ったことはこの間の消息を説明しているものである。
上手に使われた技巧は巧みにさまざまな色を織り合わせた織物のようにいわゆる底光りの部類に入るが、下手な技巧はてかてか光るだけのたぐいが多い。これが技巧の弊害である。
今の俳壇に欠けているところはてかてか、なまなまのたぐいが多くて底光りの少ないことである。碧梧桐の如きはもとよりよくこの間の消息をわかってはいるが、往々にして失敗の作がないとも言えぬ。まして碧梧桐を模倣して流れを追う者のうちなどにはてかてか、なまなまで持ち切りになるような者も見受けられる。猛省すべきことであろうと思う。
碧梧桐の句にも乏しいやうに思はれて渇望に堪へない句は、單純なる事棒の如き句、重々しき事石の如き句、無味なる事水の如き句、ボーツとした句、ヌーツとした句、ふぬけた句、まぬけた句等。
前に舉げた「鎌倉江の島漫吟」(頼朝墓 楠椿槙の大樹や露時雨 碧梧桐)及「日本」(鳴く鹿の聲山莊の障子かな 彩雲)の俳句の如きは比較的今の俳壇にあつて意の確かな重みのある句である。以て今の俳壇にも亦た棒の如き句、意志の如き句ありとして大に滿足を表すべきであるわけぢや。唯惜しむ處ははなやかな方面には是があるが淋しい方面には是が無い。うきやかな方面には是があるが沈んだ方面には是が無い。同じ棒でも鐵の棒はあるが杉丸太のやうな棒はない。きちんとした水晶のやうな石はあるが、ぶざまな御影石のやうな石は無い。ボーツとした奴は無い。ヌーツとした奴は無い。ふぬけた奴は無い。まぬけた奴は無い。
碧梧桐にはかつて三度ならず以上のことを陳べたことがある。碧梧桐はよく余の言を容れて拒まない。かつてこれを見るたびに不満を感じた「日本」の俳句が近日はしばしば満足を与えるものとなった。子規のいわゆる「常にいくらかの変化を為す」碧梧桐の進み具合が今後どの方面に向かうかは余の楽しみに待つところである。
註:「再び現今の俳句界に就て」(明治36年10月「ホトトギス」)が碧梧桐の反論を受けての弁論がありますが、技巧の解釈の違いなどが論じられており、「渇望に堪へない句」に比べて特に見るべきほどのことはありません。