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スレッドNo.91

裏第三十七話 平成の俳諧師たち

現在、俳句をやっていると思っている人の多くは、「俳句」ではなく、実際は「俳諧」をやっています。それは、正しく俳句を理解していない指導者や結社から、間違った指導を受けているからです。
ですから本当は、「俳人」ではなく「俳諧師」と名乗らなくてはなりません。
俳句結社の主宰や、俳句総合誌の選者などにも、自分では俳人だと思い込んでいる「俳諧師」がたくさんいます。

それでは、俳句と俳諧はどのように違うのでしょうか?

俳句とは、皆さんご存知の通り、正岡子規が定義したものであり、それ以前の芭蕉や蕪村、一茶が作っていたものは、「俳句」ではなく、すべて「俳諧」なのです。

江戸末期の俳諧は、それはもうヒドイありさまでした。
蕪村の没後あたりから、全国各地に「我こそが芭蕉の弟子」「我こそが真の俳諧師」と名乗る偽者宗匠が雨後のタケノコのように現れ、せっかく芭蕉が築き上げた「風雅の誠」の世界は、見る見るうちに後退して行きました。そして、次第に通俗性が極まって行き、和歌から俳諧が生まれた頃に戻ってしまったのです。

江戸末期の俳諧は、作品の質はとても低く、低俗な内容を小理屈や技巧で表現するものばかりであり、現代で言えば、三流週刊誌などのサラリーマン川柳と同じようなレベルの世界でした。頭の中だけで考えた低俗な世界を口先だけで表現し、読み手に「巧い!」と言わせることを目的とした「左脳俳諧」、平凡な季題趣味と小手先の技術だけに頼った「月並俳諧」は、もはや文芸と呼べるようなシロモノではありませんでした。

低俗、通俗を題材にすることは、まったく問題が無いどころか、それこそが俳諧の俳諧たる所以です。ですから、問題なのは、その対象ではなく、方法論なのです。

芭蕉の方法論は、対象が低俗、通俗であれ、それを文芸の域へと高めました。しかし、江戸末期のインチキ俳諧師たちによる、小理屈や技巧を眼目とした点取り俳諧の蔓延により、風雅の塔は崩れ去ってしまったのです。

そして明治になり、堕落しきった俳諧を芭蕉の高みにまで戻すため、子規が立ち上がったのです。
まず子規が決めた定義とは、それまでの俳諧の主流であった「小主観と小理屈」の排除です。小主観と言うのは、個人的なつまらない思いつき、小理屈と言うのは、一句上における因果関係のことです。
ようするに、読み手に「巧い!」と言わせたくて作る句には、必ず、このどちらかが関わっていたのです。子規は、それまでの俳諧の両翼であった「小主観と小理屈」こそが俳諧を堕落させた元凶だとして、その翼をもぎ取ったのです。そして、その代わりに子規が与えた翼が、絵画の基本的な技術であった「写生」なのです。

頭であれこれと理屈を考えたりせず、自分の目で見たものをそのまま十七音に写し取る。そこには、一枚の絵を見るような風景が浮かび上がり、そしてその絵の中には、作者の複雑な心象をも表現することができる。これが、子規の考えでした。

そして、子規によって、新しい「写生」と言う翼を与えられた十七音は、「俳句」と言う名を得て、大空へと飛び立ったのです。

それから100年、俳句には色々な亜流が生まれたり、消えたりして来ましたが、連句の発句を「俳句」と命名し、その定義を決めたのが子規である以上、その子規の定義から外れたものは、あたしは俳句とは認めません。現在の俳壇は、一見「写生俳句」が主流のように見えますが、総合誌を見ても主要結社誌を見ても、読み手に「巧い!」と言わせることが目的の「小主観と小理屈」の写生風俳諧ばかりで、本物の俳句のいかに少ないことでしょうか。
現在の俳壇に紛れ込んでいる、多くのニセ俳人、平成の俳諧師たちの名前を列挙してもいいのですが、人からどう見られるかと言うことばかり気にしているような、俳句の定義も解かっていないヤツラなんかに構っているヒマはありません。

何故なら、子規や虚子の方法論を後世へと伝えて行かなくてはならないカンジンのホトトギスが、現在あのアリサマですから、代わりにあたしが、正しい俳句の普及をしなくてはならないからなのです(笑)。地球人になりすまし、あちこちの国に紛れ込んでいるインベーダーのように、日本人になりすまし、国家ぐるみの犯罪を繰り返す北朝鮮の工作員のように、本来、俳人だけで構成されるはずの俳壇に、俳人になりすまして紛れ込み、俳句を後退させようともくろむ平成の俳諧師たち。

ある者は総合誌の選者になり、ある者はテレビの俳句番組に出演し、そして、俳句を志す人たちを次々に洗脳し、自分の結社を大きくして行きます。

比喩や言い回しなどの技巧で読み手を唸らせたり、解かりずらい古語などを使って知識人ぶったり、一句上でウンチクを語ったりするものなど、子規が定義した「俳句」とは似ても似つかぬ世界であり、それこそが、芭蕉の理念を地に落とした、江戸末期のインチキ俳諧師たちのやっていたことと同じなのです。子規が、それまでの俳諧から俳句へと引き継いだものは、「定型、季語、切れ、俳言性」の4本の柱だけであり、十七音を形成する基本的な方法論は、「写生」以外の何ものでもないのです。

それなのに、左脳ばかりが巨大化した平成の俳諧師たちは、100年以上も前に子規がゴミ箱へ投げ捨てた「主観」や「理屈」に今だとらわれ、読み手を唸らせるためにはいくらでも嘘をつき、日々、俳句の後退運動に明け暮れているのです。

俳諧の「俳」は、おどける、ふざける、「諧」は、たわむれ、冗談、と言う意味を持っています。
だからと言って、たった一度きりの人生で、自分の見栄のために、ふざけて、たわむれて、嘘をつき続けるなんて、なんて悲しい人たちなのでしょう。

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