裏第三十九話 プチ山頭火
中学生や高校生の女の子たちが、本格的な家出じゃなくて、ちょこっと家出するのが「プチ家出」、ちょこっと整形するのが「プチ整形」、ちょこっと売春するのが「プチ売春」、ちょこっと人を殺すのが「プチ殺人」、他にも色々あるけれど、ようするに、やってることは同じなのに、「プチ」って言葉をくっつけて、自分の罪悪感を無くすために、子供たちが考えたサル知恵です。
一時期、「売春」って言葉の罪悪感を無くすために、同じ行為を「援助交際」って言ったのと同じことです。
まあ、こんなアホな子供たちが増えたのも、自分の子供の教育もできないバカ親たちの責任ですが、これとまったく同じことが、俳句の世界にも見られるようになって来たのです。
現在の俳壇には、正しく俳句を理解し、正しい指導のできる俳人がほとんどいなくなってしまったため、次世代を担うはずの若い俳人予備軍が、軒並み「プチ山頭火」と化してしまっているのです。
種田山頭火と言えば、ちゃんとした俳句も作っていますが、やっぱり有名なのは自由律です。(あたしは自由律や無季は俳句と認めていないので、自由律俳句とは呼ばずに、単に自由律と呼んでいます。)
何故、山頭火は自由律ばかり有名なのかと言うと、女遊びと酒に溺れ、破天荒で自堕落な生活を続けた山頭火の代表作としては、有季定型のマトモな俳句じゃ役不足だからなのです。そのために、山頭火を紹介する企画などがあるたびに、形の崩れた作品ばかりにスポットを当てたため、いつの間にか、山頭火イコール自由律と言う図式が出来上がってしまったのです。これは、尾崎放哉の場合も同じです。そして今、ネットを中心に増殖しつつあるのが「プチ山頭火」なのです。
「プチ山頭火」とは、本気で自由律や無季をやる度胸はなく、かと言ってキチンと有季定型俳句を学んだワケでもなく、ネットのお遊び俳句サイトなどで俳句を始めたため「俳句は五七五で季語が入ってればいいんですよ。少しくらい字数がはみ出しちゃってもいいんですよ。」なんてデタラメを教えられて、テキトーに作ってみた初めての俳句モドキを「なかなかいい感性ですね。」なんてお決まりのセリフでホメられたのをその気にしちゃってる、気の毒な人たちのことです。
日本人のDNAに組み込まれた島国根性は、妙な集団意識に支配されていて、自分だけがみんなと違うことを怖れます。ようするに、村八分が恐いのです。そのクセ、目立ちたい気持ちも人一倍に持っています。
その相反する潜在意識によって、「安心できるジャンルに身を置きつつ、ちょっと目立ちたい」と言う、極めて都合のいい状態を作り、自己満足したいのです。
つまり、ヤンキー高校生が、学生服を改造するのと同じ心理なのです。
制服と言う、みんなと同じ安心できるジャンルに身を置きつつ、その制服を改造して、ちょっと長くしたり短くしたりって言う、ようするに、甘やかされて育った、自我ばかりが発達した、腰抜け野郎のスタイルができあがるのです。
村八分が怖いのなら、みんなと同じに普通の制服を着ていればいいし、本当に目立ちたいのなら、裸で道を歩けばいいのです。そのどちらもできない甘えんぼが、制服を改造し、狭い世界の中で、鼻息を荒くして虚勢を張り、自己満足しているのです。
プチ山頭火たちは、俳句と言う制服を着ることで安心感を得ているのにも関わらず、俳句のルールを無視した、中途半端な表現で目立とうとします。
プチ山頭火たちは、ちゃんとした俳句の基本を勉強していないか、もしくは間違った指導者を師事しているため、季語の入った17音の散文を「俳句」だと思い込んでいます。
ようするに、何のバックボーンも無いアホどもが、神聖なる俳句の世界に、自己顕示欲の赴くままに、自由律の観念を持ち込もうとしているのです。
プチ山頭火たちの句の特徴としては、文語と口語が入り混じっていること、季語の本意を全く理解していないこと、切れが曖昧なことなどがあげられますが、とにかく一読しただけで、観念だけで作られたウサン臭さがプンプン匂っているので、すぐに分かります。
次にあげる、句は、某ネット句会の先月の高得点句です。
青蜜柑少女の恋は背伸びする
かくれんぼ萩をこぼしてもういいよ
会いたくて月に吠えてもいいですか
姑です眠り姫です葉鶏頭
これらが、伊藤園の「お~い、お茶」の缶に書いてあるなら理解できますが、仮にも「俳句」と名乗っている句会に投句され、さらには高得点になっていると言う事実。その句会には、ちゃんとした俳句を投句している人もいますが、正しい評価はされていません。
自分だけが可愛い大人たちは、若い子たちの暴走に対して、理解あるフリをして点数を稼ごうとします。でもあたしは、あたしの唯一のサンクチュアリである俳句を汚されることは、絶対に許しません。
これは、あたしからの最後通告です。
「真剣に生きていないやつらは、俳句をやるな!」
本物の俳人は、命をかけて17音を編んでいるのです。血を吐く想いで言葉を紡いでいるのです。
ゲームセンターのバカげたゲームで遊ぶように、くだらない言葉遊びをして、自己顕示欲を満たしたいだけなら、申し訳ないけど、他のジャンルでやって下さい。
本当の俳人と言うものは、あなたたちのように、ぶ厚いツラの皮を持っていないのです。