裏第四十一話 本当のネット句会とは
先月(平成15年12月)のハイヒール句会は、毎月参加されているメンバーが2人、体調不良でお休みされましたが、それでも38名もの参加がありました。実際の結社の句会でも、たいていは10数名から20数名で行なっていますので、これは素晴らしいことです。
平成15年の1月にスタートした時は、初回と言うこともあり、ネットのお友達に色々と声をかけて無理に参加していただいたりして、それでも21名でした。
それから一年間、一回目から休まずに参加している人、途中から参加している人、一度で懲りて来なくなってしまった人(笑)など様々ですが、続けて参加している人たちは、自分では気づいていないかも知れませんが、驚くほどのスピードで上達しています。
一般的にネット句会と言うと、やはりお遊び的な要素が強く、頭の中だけで作った言い回しと出来合いの季語を合わせて作り、読み手を唸らせたら高得点、と言う世界が主になっています。それは、投句して選句して終わり、と言う、点数がすべての点取り句会ばかりだからです。
そう言った座に参加していると、いかにして読み手を唸らせるか、いかにして得点を集めるか、と言う作り方になってしまい、俳句の本質からは遠ざかって行くだけなのです。
また、こう言った多くの無責任なネット句会とは違って、披講後に句評などを行なっているネット句会もありますが、それは、もっとひどいありさまです。あたしは、何ヶ所ものネット句会を見て来ましたが、そのほとんどは、正しい評がなされていませんでした。披講後に句評が無いのも問題ですが、間違った句評をするのは、もっと問題があります。
某ネット句会では、運営者がそれらしい指導めいたことをしていますが、自分の結社の主宰の受け売りばかりで、ひとりひとりの個性など全く無視しています。
作者の立場に立たず、自分の愛する主宰の受け売りを押し付けているだけなので、結果、もともと類想句だったものが、よけいに個性の無い、どこかで見たような句になって行くだけなのです。
そのネット句会では、毎回のように有名な句の類想類句が投句されますが、運営者は類句の指摘を一切せず、それらの句が高得点になったりもしています。
その異常なシステムを知らない新入りが、親切心から類句の指摘などしようものなら、全員から吊るし上げられ、まるで犯罪者扱いです(笑)
初心者が、類想類句を投句してしまうことは仕方ないとしても、その句に得点が集まると言うことは、参加者全体、言い換えれば、句会そのもののレベルが低いと言うことです。それが、そこらの三流結社の主宰の句に似ていた、と言うのであれば、まだ許されますが、芭蕉や去来、子規や虚子の句と、中七と下五が一字一句同じだったりするのです。あまりにもソックリで、あたしなどは本歌どりかと思ってしまったほどです(笑)
俳句を作っているだけでは、いつまで経っても進歩はしません。「選は創作なり」と虚子が言っているように、作句力をつけるためには、俳句を作ること、俳句を読むこと、俳句を選ぶこと、この3つが必要なのです。しかし、最近の俳人は、俳句を作るだけで、人の句を読まない人がとても多いのです。ですから、類想類句ばかり作っているし、選句力もないのです。
その上、句会の運営者までもが類想類句の指摘をしなかったら、句会の意味などまったくありません。
いかに俳句を読んでいないか、いかに正しい指導を受けていないかと言うことは、その句会の選句を見れば、一目瞭然なのです。類想句が高得点になるような句会は、参加者全体のレベルが低く、指導にも問題があると言うことなのです。
こんなネット句会の現状に嫌気がさして、何とか本当に意味のある、そして参加者のためになる句会をと考えて立ち上げたのが、ハイヒール句会です。
ですから、ハイヒール句会では、あたしの選が絶対です。いくら高得点になっても、あたしが良いと思わなかった句は、それだけの句だと言うことです。類想類句の指摘も、過去の作品を挙げ、徹底的に行なっています。
その代わり、無得点の句でも、それぞれの作者の想いに少しでも近づけられるように、選後にできる限りのアドバイスをしています。
結社に洗脳されている偏った運営者とは違い、あたしには「無所属」と言う強みがありますから、それぞれの作者に合わせた、ベストの指導、添削が可能なのです。
以前、作者の想いを無視したひとりよがりな添削で、作者から告訴された鷹羽狩行のお粗末な話を紹介しましたが、それと似たり寄ったりのことが平然と行なわれているのが、洗脳俳人の運営する、結社の支店のようなネット句会なのです。そんな句会に参加していたら、自分の個性をむしり取られ、類想類句製造マシーンにされてしまうだけでなく、完全に洗脳され、挙げ句の果てには、その結社に入れられてしまうのがオチなのです。所属結社の主宰や、先輩俳人、総合誌などに添削を依頼して、できあがった作品が、あまりにも自分の想いとかけ離れてしまっていて、お礼を言いつつも、どうしても納得できなかったことのある人は多いと思います。そして、そんなことを繰り返すうちに、自分らしさ、自分の感性を失って行くのです。
それは、ほとんどの指導者ヅラしてる俳人が、あたしから言わせれば、ヒトサマの作品を添削できるほどの能力や感性など持ち合わせていないからなのです。作者の想いなど無視して、自分勝手な主観や自分の主宰の受け売りで添削する、ただの押し売りなのです。
あたしの添削は、ひとりひとりの想いを最も重要視して、それぞれの作者の想いに、できるだけ近づけるようにしています。たとえそれが、あたしの感性や方法論に反するとしても、その作者が一番言いたい、伝えたいと感じたことを優先します。
ですから、ハイヒール句会に参加されている人たちは、皆さん個性を失わず、それぞれの魅力を伸ばして行っているのです。
裏ハイヒールのWEB句集に作品を発表されている、遊起さん、光さん、かもめさんは、皆さんまったくの初心者で、「きっこのハイヒール」で俳句を始めました。それが、1年もしないうちに、あれほどの作品をまとめられる力をつけたのです。
結社なんかに無駄金をつぎ込まなくても、ネットで勉強するだけでも、本当のネット句会とめぐり合うことができれば、俳句は必ず上達するのです。
どこかのネット句会に参加していても、なかなか上達しない人、自分の想いとは違った添削を受けている人は、もう一度、その句会自体を見直し、「ネットにありがちなお遊び句会」や「結社の支店の洗脳句会」であれば、手遅れにならないうちにやめるべきでしょう。