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スレッドNo.96

裏第四十二話 きっこからのお年玉(笑)

俳句は、とても奥の深い文芸で、本当に俳句を極めようと思ったら、一生を俳句に捧げる覚悟が必要です。
俳人の中には、俳句の他に短歌など、他の詩型もやっている腰の落ち着かない人もいますが、あたしの知る限りでは、フタマタをかけているような作家は、どちらも中途半端で、ロクな作品を作っていません。

ひとつの詩型と命をかけて対峙していたら、他の詩型などにかまけている暇などありません。あたしが、短歌や川柳、連句や自由詩などを読んだり作ったりするのは、すべては俳句のためです。対岸に位置する文芸にも目を向け、他の詩型の取材の仕方や題材の切り取り方、焦点の絞り方を勉強し、自分の俳句に生かすためです。さらに言えば、本を読むことも音楽を聴くことも映画を観ることも、すべては俳句のためなのです。

さて、「きっこのハイヒール」では、去年(平成15年)の年末に「歳旦三つ物」を募集しました。
歳旦三つ物とは、発句、脇、第三から成る連句で、お正月のあいさつに使われるものです。たくさんの方が、初めてチャレンジしてくださって、楽しい作品が集まりました。

なぜ、歳旦三つ物を募集したのかと言うと、俳句を作る上で、とても大切なことが連句から学べるからなのです。

連句の心とは、決して後戻りしない心です。つまり、それまでの世界を転じて、転じて、転じて、そして前へ進んで行くのです。

発句の五七五を脇の七七が受け、そして次の五七五が大きく転じる。そしてまた、七七がそれを受け、次の五七五が大きく転じ、前へ前へと進んで行きます。そのために、前の内容に戻ってしまうことを「輪廻(りんね)」と呼び、連句ではもっともいけないこととされています。連句を作る場合、その「輪廻」を回避するために、常に「打ち越し」をチェックしながら進んで行きます。

「打ち越し」と言うのは、その句の2つ前の句のことで、歳旦三つ物であれば、第三から見た発句が「打ち越し」になります。
例えば、発句で植物を詠んだら、第三句では植物以外のものを詠む。そうしないと、輪廻が発生してしまうのです。

そこまで厳しくチェックして、打ち越しから大きく転じさせる2つ後の句とは逆に、まるで打てば響く鼓のように、ピッタリと寄り添っているのが、脇の七七です。
連句では、五七五は独立した句ではなく、それを受けた脇の七七とセットになり、ひとつの小宇宙が構築されます。そのために、連句では、「付け句」と言って、既製の俳句に七七を付ける遊びをして、その感性や技術を磨いたりします。俳句は、作者がすべてを言ってしまうのではなく、作者の想いや情景など、何割かを読み手の感性に委ねて作る詩です。このことは、この俳話にも何度も書いて来ましたが、その読み手に委ねる部分と言うのが、連句における脇の七七なのです。

俳句を詠む上で、一句の中に「○○だから××になった」と言う理屈が発生してしまったり、起承転結をすべて言ってしまうと、それだけでひとつの世界を作ってしまい、読み手に想像させる部分、つまり、連句における脇の七七を付ける余地がなくなってしまうのです。

つまり俳句とは、後に続く七七の部分は読み手に任せ、作者は未完成の五七五だけを発表する詩なのです。ですから、読み手がいて初めて完成する文芸であり、どこにも発表せず、句帳に書きとめているだけでは、どんなに素晴らしい作品であっても、それは俳句とは呼べないのです。俳句が俳句であるための、必要不可欠なもののひとつに「切れ」がありますが、この「切れ」も、自分の作る五七五の中だけで考えるのではなく、読み手に対して、つまり、後に続く七七に対して考えて使います。

句末を「けり」で強く切った場合と、「をり」でやわらかく切った場合では、読み手が同じ七七を付けるとしても、その距離感が違って来ます。中七を「や」で切って下五を名詞で止めた場合は、下五の名詞は、読み手が想像する七七の世界に限りなく密着します。

もちろん、これらの場合の「読み手の七七」と言うのは、本当に読み手が七七の付け句をするわけではなく、その句を読んで、そこからイメージを広げて行ったり、文字の裏側にある世界を感じ取ったりする「読み」のことです。あたしは、こう言った難しいことを最初に言ってしまうと、皆さん二の足を踏んでしまって、歳旦三つ物にチャレンジしてくれないと思い、取りあえず基本的なルールだけを書き、募集したのです。そして、たくさんの参加が得られたわけですが、ここからが勉強になります。

それぞれの作品、そして自分の作品を見直すのです。そして、発句を独立した俳句として考えてみるのです。そうすると、次に続く七七は、本来は読み手が感じる部分になります。

つまり、発句と脇が似たようなこと、同じようなことを言っている句は、世界が狭く広がりのない句、と言うことになります。もちろん、初めて作ったのですから、あまり厳しいことは言えませんが、理想的なのは、発句と脇が、まったく関係の無いようなことを言っているようで、それでもどこかで響き合い、広い景を感じさせてくれる句なのです。あたしは、自分の俳句を推敲して行く上で、どちらの形にしようか迷いが生じた場合には、両方の句に七七を付けてみます。そして、広がりのある七七を付けられたほうの形を残すようにしています。

これは、俳句の本質を考えた場合、最短距離で上達できる方法のひとつです。その上、作句力だけでなく、俳句を読む力も養えますし、自分の句を客観的に見ることもできるようになります。

そこらの俳句結社では、他人の受け売り指導ばかりで、このような実践的な指導ができる主宰などいません。また、入門書や総合誌などを読んでも、同じことが言葉を変えて書いてあるだけで、実作の役には立ちません。
今回の俳話は、「きっこのハイヒール」に来てくださる方々への、あたしからのお年玉です(笑)

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