裏第四十三話 がんばれ!廣太郎
「俳句研究」の平成14年9月号の「平成俳壇の新鋭たち」は、「ホトトギス」を取り上げています。ホトトギスの若手三名が10句を並べ、その序文を編集長の稲畑廣太郎が書いています。
丸々1ページに渡り、ホトトギスがいかに歴史があり、いかに俳句の王道を歩んでいるかと言うことが書かれています。そして、その文章の中に、主宰、稲畑汀子の以下の言葉を引用しています。
「一番大切なことは一人一人が客観写生の技を磨き、虚子が唱えた花鳥諷詠詩を深めることである。ホトトギスはそのための道場である。道場に甘えや馴れ合いは不要である。私は他の結社に見られる様な賞を設け褒めあうことは一切しないことをここに宣言する。」
なんともご立派な「宣言」ですが、俳人は俳句作品で勝負するものです。
あたしは、言うことは言っていますが、自分の発言にともなっただけの作品を作っています。
汀子は、こんなセリフなど言わなくとも、誰も真似できないような素晴らしい作品を次々に発表して行けば、皆、黙ってついて行きます。
客観写生の技を磨き抜き、虚子の花鳥諷詠を深め、甘えや馴れ合いをすべて切り捨てよと会員たちへ言っている主宰の代表句が、「セーターのまた赤を着てしまひたる」ですか?(笑)
俳壇には、ご立派な俳論を掲げている割りには、それに自作がともなっていない主宰が大勢いますが、汀子ほど、言っていることと作品のギャップの大きい俳人は他に類を見ません。
汀子には、前出の句の他に、次の2句があります。
セーターの白は誰にも似合ふ色 汀子
セーターの赤をよそほう悲しみも 〃
この句のどこが客観写生なのでしょうか?
それ以前に、これが最大の会員数を誇る結社の主宰の句として、妥当でしょうか?
この2句を踏み台にして、ついに出来上がった渾身の一句が、前出の「また赤を着てしまひたる」 だと言うのですから、もう言葉も出ません。
それから、一応、細かいツッコミもしておきますが、「よそほう」は、正しくは「よそほふ」と表記します。
さて、話は戻り、廣太郎は、ホトトギスの若手三名を紹介するにあたり、次の文章を書いています。
『(前略)今回ご紹介申し上げる三名は「ホトトギス」の編集者、つまり「合資会社ホトトギス社」の社員なのである。毎日送付される膨大な数の雑詠投句の整理、本誌の編集、校正等、多忙を極める中、しっかりと花鳥諷詠作家としての道を歩んでいる人たちである。
恵まれた環境に奢る事なく真摯に作家としての勉強も日々怠る事がない。若い人たちの台頭も著しい、と書いたが、反対に虚子を知るベテラン誌友も多くおられ、お互い切磋琢磨しながらこの道場での花鳥諷詠の修行を通して、一人でも多くの人にこの日本が誇る世界一短い「花鳥諷詠詩」を広めて行く。今回の三名だけでなく、数多くいる若い「ホトトギス」誌友が俳句作家として世界に羽ばたく時代は既に始まっているのである。』
前出の汀子の「宣言」に負けず劣らずのご立派な文章ですが、それでは、この文章で紹介された、「恵まれた環境に奢る事なく真摯に作家としての勉強も日々怠る事」もなく、「切磋琢磨しながらこの道場での花鳥諷詠の修行を」し、「しっかりと花鳥諷詠作家としての道を歩んでいる」と言う三名の作品を見てみましょう。
三人の男蜜豆注文す 小林一行
雪道の十メートルにチェーンつけ 荒川ともゑ
英字新聞に包まれチューリップ 相沢文子
これが、「俳句作家として世界に羽ばたく」人たち、それも、膨大な会員の中から、編集長自らが選び抜いた新鋭三名の作品です。
これは、何かの冗談なのでしょうか?
これらの作品が、どの程度のレベルであるかは、今さら説明する必要もありませんが、あたしが驚いたのは、その俳歴です。
1句目の作者は、ホトトギスに入会して20年、2句目の作者は25年、3句目の作者は5年です。20年も25年も俳句を学んで、その総決算とも言える作品が、これなのです。
さて、2004年の「俳句研究年鑑」の中で、廣太郎の作品について、鳴戸奈菜が批評を書いています。
以下、その全文を紹介しましょう。
『稲畑廣太郎(昭和32年5月20日生)
宵闇に丸ビル皓皓と灯り
ニューイヤーコンサート聴き初風呂へ
花の闇ふとあの人に会えさうな
あまりに安直である。ことに「皓皓と灯り」というような常用される表現の使用、「ニューイヤーコンサート」と「初風呂」の季重なり、「花の闇」の句の通俗。
踊見の指の踊つてをりにけり
意味は通じるとしても「踊見」という用語は省略が過ぎないか。中で、
穀象にササニシキコシヒカリなし
〈半球を崩し天道虫飛翔〉は気が利いているがやや見え見えだ。「ホトトギス」を担う一人であろうから残念。私はホトトギス系の作家の凄い作品を読みたくてならない。』
これほどひどい作品ばかりなのですから、鳴戸奈菜の評は、ずいぶん甘く書いてあると思いますが、最後の一行に思いっきり皮肉が込められています。
「私はホトトギス系の作家の凄い作品を読みたくてならない。」と言うのは、一見、「ホトトギスに期待しているからこそ、あえて厳しい批評をした」と言う自己弁護的な言い回しに見えますが、実際は、「2万人も会員がいるのに、一人としてマトモな俳句を作れる人間がいない」と言っているのです。
廣太郎の作品に対する他の批評を見てみると、同じ「俳句研究年鑑」の2003年では、今井聖に、『「写生」というのは、まず「もの」をよく見ることではなかったのか。』と一刀両断され、客観写生から全く外れている観念的な言葉の多用などを指摘されています。
2002年には、中村和弘に、「~作品の評価基準に隔たりがあるのであろうか。」「~何とも興味が湧かないのである。」「~内的な関わりが見えてこない。」「~通俗もまた気にかかるところである。」などと、言葉は柔らかいにしても、そのほとんどを否定されています。
「俳句研究年鑑」の2002年、2003年、2004年を読み、全く成長していない廣太郎を見ると、20年も25年もホトトギスで勉強している俳人の作品のレベルの低さも理解できます。いくらやる気があっても、向上心があっても、方法論が間違っていれば、何十年と言う努力も、すべては無駄になってしまうのです。
あたしは、俳句が大好きです。そして、その俳句は、正岡子規が作ったものです。ですから、子規、虚子と言う流れは、俳句を志す上で、やはり王道だと思っています。
しかし、現在の俳壇をリードする多くの俳人が、全員、ホトトギス以外の結社に在籍していると言う現実を踏まえれば、本当に子規や虚子の俳句を勉強したいと思う者は、もうとっくにホトトギスには見切りをつけてしまっていると言うことが分かるでしょう。それは、ホトトギスなどに入会しても絶対に俳句は上達しない、と言うことが、主宰や編集長の作品を見れば一目瞭然だからなのです。汀子や廣太郎は、主宰や編集長の作品が、とても大きな影響力を持っていると言うことを分かっていないのでしょう。
たいていの結社は、主宰が亡くなれば、編集長がその座を受け継ぎます。逆に言えば、主宰のイスに座りたくて編集長になるようなタヌキも大勢います。余命の知れた老俳人に、結社設立の話を持ちかけ、作戦通りに自分が編集長を勤め、あとは主宰が死ぬのを待っている俳人をあたしは何人も知っています。
まるで、莫大な財産を持った老人と結婚して、毎日の食事に少しづつトリカブトの毒を盛っている若いお姉ちゃんみたいなものです(笑)
現在の結社は、たとえ主宰が素晴らしくとも、その座を引き継ぐ編集長はと言うと、首を傾げてしまうような句を作っている者がほとんどです。ですから、俳壇はどんどん衰退して行くのです。
次世代も約束されている結社と言えば、高齢の俳人の中で唯一、水準の高い作品を作り続けている桂信子が主宰をつとめ、常にストイックな作句スタイルを崩さない宇多喜代子が編集長をつとめている「草苑」くらいでしょう。
汀子の次は、息子の廣太郎がホトトギスの主宰の座につくことは決まっていますので、あと2~30年で、ホトトギスの歴史は完全に終焉を迎えるでしょう。
廣太郎が、本当にホトトギスを 子規、虚子の流れを絶やしたくないと思っているのなら、ご立派な演説などしている場合ではありません。今からでも遅くはないので、本気で俳句の勉強をして、たった1句でもいいから、あたしの目にとまるような作品を作って欲しいと思います。
虚子の血をひく大変な家系に生まれてしまい、その重責は、あたしたち一般人の想像を遥かに超えたものだと思います。しかし、俳句と言う文芸は、他の芸術と違い、特別な才能や資質などがなくとも、指導者の選択さえ誤らなければ、誰でもが上達できるものなのです。本当に俳句を理解している指導者を師事すれば、誰でもが1~2年で、ある程度の水準に到達することができるのです。それは、この「きっこのハイヒール」で俳句を勉強している人たちを見れば明らかでしょう。
廣太郎も、いつまでも冬彦さんみたいなことをやっていないで、そろそろ乳離れして、本当の俳句を勉強して欲しいと思います。
ホトトギスを出て、10年くらい草苑で勉強してみたらどうでしょうか?
そうすれば、少なくとも汀子よりはマシな作品を作れるようになると思います。
あたしも、鳴戸奈菜と同様に、「ホトトギス系の作家の凄い作品を読みたくてならない」のですから。