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スレッドNo.99

裏第四十五話 春の宵にはぶらんこを

「ぶらんこ」は、一年中あるものなのに、なぜ「春」の季語とされているのでしょうか。

一般的には、ぶらんこを漕いだ時の風の爽やかさなど、漠然としたイメージによって決められていると思われがちですが、そうではなく、ちゃんとした理由があるのです。

さて、今回の俳話は、とんでもないところから話を始めましょう。

京都は南禅寺山門の楼上に、悠然と姿を現わした大盗賊の石川五右衛門。長いキセルを片手に、「春宵一刻値千金、あ、絶景かな、絶景かなぁ~」とあたりを見回します。とても有名な、歌舞伎「楼門五三桐(さんもんごさんのきり)」の名場面です。

この五右衛門の名セリフの「春宵一刻値千金(しゅんしょういっこくあたいせんきん)」は、蘇軾(そしょく)の漢詩の代表作、「春夜」からの拝借なのです。
さすが天下の大泥棒、金銀財宝だけでなく、セリフまで盗んでいたのです(笑)

蘇軾は、蘇東坡(そとうば)とも言いますが、こちらの名前のほうが一般的ですね。居眠りしないで、ちゃんと学校の授業を聞いていた人なら、名前くらいは記憶にあると思いますが、忘れてしまった人のために、簡単に書いておきます。

蘇東坡(1036~1101)は、中国北宋の詩文の大家ですが、詩文だけでなく、書道家でもあり、政治家でもあり、美食家でもあり、中国歴史上、有数の天才のひとりと言われています。

朝鮮王朝初期の名筆家、安平大君(アンピョンテグン) の書に、「詞翰蘇黄後」と言う作品があるのですが、これは、「文学と書画は、すべて蘇東坡と黄山谷から始まった」という意味なのです。
そんなに偉大で、みんなからリスペクトされてたスーパースターの蘇東坡だけど、お酒が一滴も飲めないと言うカッコ悪い一面もありました。もしかしたら、付き合いにくいヤツだったかも知れません(笑)

この蘇東坡の漢詩、「春夜」の「春宵一刻値千金‥‥」の「春宵(しゅんしょう)」は、「春の宵(よひ)」と言う季語のもとになった言葉なのです。まず、「春の宵」と言う季語が生まれ、ここから「夏の宵」「秋の宵」と言う季語が連鎖的に作られて行ったのです。ですから、季語としての「宵」をイメージする場合は、「春の宵」の持つ風情を基本として、それから、他の季節の「宵」を感じるべきなのです。
寒い冬の間は 足早に通り過ぎていた道も、少しづつ日が伸び、暖かくなって来た春の宵に歩くと、まったく違った風情を感じます。
この時の感覚が、「春の宵」の本意なのです。
何も考えずに、ただ夕方から夜にかけての時間帯だったからと言う理由で、安易に「春の宵」「夏の宵」などの季語を使うのではなく、毎日、同じ時間に同じ道を歩き続け、ふと季節の到来を感じた時に、初めて使える季語なのです。

さてここで、知らない人のために、この「春夜」と言う漢詩をご紹介しましょう。もちろん、痒いところに手が届く「きっこ俳話集」ですから、あたしの名訳も添えておきます(笑)

     「春夜」

  春 宵 一 刻 値 千 金
  花 有 清 香 月 有 陰
  歌 管 樓 台 聲 細 細
  鞦 韆 院 落 夜 沈 沈

     「春夜」  きっこ訳

  この春の宵は
    何ものにも変えがたいひととき

  やわらかい花の香
    月を渡りゆく雲

  どこかの屋上からは
    微かな歌声が流れてくる

  街角の小さな公園には
    誰かが揺らすぶらんこ
      ゆるやかに夜がやって来た

そう! ここに「ぶらんこ」が登場するのです!

これは、たまたま登場したのではなく、中国では、ぶらんこは春の遊具だからなのです。

これも季語になっていますが、冬至から105日目、つまり仲春の最後の日を「寒食節」と言って、中国では、火を使わないで冷たいものだけを食べる「寒食祭」が行なわれます。
「寒食祭」は、日本人には馴染みのないものですが、中国では、とても古くからある行事で、この時に、ぶらんこに乗る競技が行われるのです。

現在では、あまり見られなくなったそうですが、この歴史ある行事によって、中国では、「ぶらんこ」と言えば「春」と言うイメージが定着しているのです。

また、春分から15日後、つまり晩春の初日を「清明節」と言って、この日には、宮中の女官たちが、ぶらんこに乗って遊んだと言われています。

「寒食節」と「清明節」は2日続きの行事なので、歳時記には仲春、晩春と分けられて掲載されていますが、中国ではひとつの行事の1日目、2日目となっているのです。

興味のある人は、お手元の歳時記で、「寒食」と「清明」を引いてみてください。
春にお花見をしたり、秋にお月見をするように、古い中国の人たちは、ぶらんこに乗ることによって、春を感じていたのです。

ぶらんこは、その季感もともない、中国から日本へと渡って来たものだったのです。

「春の宵」も「ぶらんこ」も、何も考えずに、ただ歳時記に載っているから使うのではなく、こう言ったことを知ってから使うと、ひと味もふた味も違って来ます。

季語の本意を実感することは難しいですが、季語の背景を知ることは、調べれば良いだけです。それぞれの季語の背景を知り、その上で使えば、本意に近づくことができるのです。

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