母あればこその味なり小豆粥
田舎から上京してから小正月のたびに健康を願って小豆粥を作っていた。前の晩から水に漬けて何度も灰汁を取るので手間はかかるが砂糖を使わない小豆粥の素朴な味は結婚して子どもを儲けても懐かしい風習として作り続けていたが、健康を願うといっても誰の健康を願うのかという思いは余り考えたことが無かったが、自分の健康を願うというのは家族があればこそで、両親を看取り、子どもたちも無事に育ったことで、そう思うと小豆粥から開放されたような気持になった。
今日は一日中古のパソコンを根を詰めて修復してやっと完成したので、疲れたび~で、今夜は山本海苔店の「海苔茶漬梅の友」でさっぱり小正月の気分を味わうことにした。きっこさん御推薦の永谷園の鮭茶漬はそんなに旨いのかと買って来たが、わたくしが年を取ったせいだろうか塩味がきつすぎて、鮭も那珂川の生鮭で育ったわたくしには香ばしく焼いた鮭の皮と一緒でないと鮭茶漬にならないという郷土の味が舌に残っているせいもあるだろう、海苔と梅干にあられを散らしたシンプルなお茶漬に年寄りらしくなじんで来たということか。これは去年の忘年会でも「円錐」の代表も言っていたが最近「年寄り臭いもの」を好むようになったということで、言われてみればわたくしも目刺の焼いたものに干大根を酒と醤油で薄く味付けしたものだけで満足しているので、これはひとえに白米が旨い国なので燗にする酒も米だから一汁一菜で体が落ち着くのだろう、冷凍庫を開けたら大晦日の夜に半額になった石巻の赤魚粕漬と那珂湊の縞ほっけ干物と唐津の真鯵開き干しがあったから、今夜はほっけを焼いて農協で葉付き大根を一本買ってあるから大根の葉っぱとじゃこの炒め物、味噌汁は大根汁で、締めは「海苔茶漬梅の友」でいいだろう。明日朝は鯵の開きを焼いて、夜は赤魚だな。小正月が過ぎれば刺身にする魚も出て来るだろうから早く干物じゃない魚を食いたい食いたい。(*^▽^*)ゞ。
写真は黒鉄黐(くろがねもち)の雌株の木でびっくりするぐらい赤い実がたわわに実っていた。花水木の赤い実はまだ食べごろではないのか残っていたが、こちらは食べごろらしく四十雀はじめ小鳥が群がって啄ばんでいた。