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スレッドNo.1524

学舎に若きらの声春日差

きっこさん、兎波さん、皆さんこんばんは。近くの高校のそばにひなげしが可憐に咲いていました。漱石の虞美人草はこの花を想定したものでしょうか?

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きっこさん、お忙しいのに虞美人草の逸話ありがとうございます。漱石は昔から大好きでほとんどの小説を読んでいます。中でも草枕、三四郎、心、そして虞美人草は繰り返し読み返しました。その度に心揺さぶられる文学の素晴らしさに気付かされます。もちろん俳句の世界も同じように感じています。小説と違って俳句は自分で作品を気軽に?作れる喜びがありますよね。できるならこころ揺さぶるほどの俳句を成したいと思いつつそこまで達することはありませんが(^^)。でも皆さんに教えられつつ目標に近づく努力はしたいです。

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杜人さん、こんばんは。
明治40年(1907年)5月26日、門下生の小宮豊隆と浅草へ行った40歳の夏目漱石は、吉原の遊廓へ行き、遊女らの悲喜こもごもの暮らしに心を動かされました。その帰りに、森川町の植木屋の鉢に揺れる淡く悲しい花を見て、その植木屋に「この花は何という花か?」と尋ねると「虞美人草(ひなげし)」という答え。漱石はその花を二鉢買って持ち帰り、その後に始める朝日新聞の連載小説の題名を『虞美人草』と決めました。

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