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スレッドNo.1620

ベルギーの麦酒アンネの思ひ出に

背景の花は下井草図書館の庭に咲き乱れている美しいオレンジのピンクや赤を散りばめながら咲く薔薇で「Souvenir d’Anne Frank(アンネ・フランクの思い出」という名前で呼ばれることを今年初めて知った。作出者はベルギーのヒッポリテ・デルフォルヘがアンネの日記に感銘を受けてアンネの父オットーに捧げられたとのことで、大きさは8センチと大振りである。「アンネの薔薇」と呼ばれる薔薇があることは聞き及んでいたが、まさかアパートから歩いて数分の図書館に咲き誇る美しい五月の薔薇がそうだったとは。

どの本で読んだのか、子どもの頃に読んだ『アンネの日記』はユダヤ人だと言うだけで殺されるという意味がわからず恐ろしい国があるものだと恐怖でしかなかったが、長じて読んだみすず書房のヴィクトール・E・フランクルの『夜と霧』(原題「強制収容所における一心理学者の体験」は静謐な霜山徳爾訳と相俟って、一生忘れられない衝撃を受けた。特に奥さんが収容所で亡くなる日を思い起こすシーンはこれほど静かな明るさのある悲しみはないだろうという淡々とした記述で、Lament(悲歌)という言葉を聞くとこのシーンを思い出す。まるでチェーホフの妻への手紙のような静けさで、これほど死を間近にしながら人間でいられることが奇跡のような記録である。全裸の死体をブルトーザーで運ぶ写真のグロテスクを越える醜悪さは『ビルマの竪琴』のアジア的な死者の扱いと余りにもかけ離れていて信じがたく、わたくしの友人はグロテスクには耐えられるが醜悪さには耐えられないとこの写真を封印して読んでいた。

わたくしがドイツで仕事をしていた時はナチスの戦争のシーンはTVでいつも流れていて、日本の敗戦日にしか触れない小出し感とは全く異なり、自国が戦争で何をしたかを自問しているようで同じ敗戦国でも目をそらす日本とは大違いだと感心したが、ヒットラーの記録映画は未だに見ることが出来ない忌避を受けていたのには驚いた。日本ではレニー・リーヘンシュタールの記録映画は『信念の勝利』『意志の勝利』『オリンピア』ともわたくしは見ていて『オリンピア』はオリンピックの映画の最高峰でこの美しさを越える映画はありえないだろうと思っていたので、ドイツのナチス時代へのヒットラーへの思いの複雑さはわたくしにはわからなかった。多分、レニー・リーヘンシュタールのヒットラーと国民の熱狂の描写が映像として余りにも強烈だからかもしれない。プロパガンダと片付けるには余りにも国民の狂気がまざまざと見えるからだろう。

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