蜘蛛の囲の雨後の雫の銀の糸
車椅子介助のお客の視点で見ていると、躑躅の葉の間に雨の後は蜘蛛の巣に雨滴が溜まって銀色に光って綺麗に見えることに気付いてお客に教えると本当にと頷いてくれる。立って歩く視点ではなく車椅子に座っての視点だから、躑躅越しに見える川の下の水鳥の様子は見えないから、躑躅が途切れた手摺に車椅子を近づけステンレスの柵越しに軽鴨の子が七匹親鴨の後を付いて回っていると教えると車椅子から覗き込んで一心に嬉しそうに見ている。自分は命が絶えようとしているのに命の溢れる子どもの声を聞くのは我慢がならないと校門で先生に朝の挨拶をする子どもの声すら五月蠅いから挨拶を止めさせろとクレームを入れる老人たちにはわからない、年年歳歳心を癒してくれる小さな季節からの贈り物である。詩人の目を持つことによって、どれだけの高齢者たちが慰められ癒されて命を全うされたことか。俳句だけではなく、詩や短歌や川柳や都都逸や小説や映画や音楽や食べ物や絵や彫刻や国内外の旅の話をふんだんに取り混ぜて善福寺川や妙正寺川や石神井川や神田川沿いに車椅子介助で散歩するのは車椅子のお客も弁士と化す猫爺も命の洗濯をしているような憩の時間である。もう十年以上川沿いの散歩を続けていると、運動に出て来る障碍者や高齢者ともなじみになり、車椅子サロンと化す飴玉タイムである。わたくしとお客に彼らが飴玉をくれるので飴玉サロンかな。
写真は下井草図書館の姫沙羅。