秋天に翼の折れたエンジェルや
皆さん、こんばんは。
言葉遊びだった連句を、俳諧と言う芸術の域にまで高めるために、その生涯を「探求」という名の旅に捧げた松尾芭蕉は、あたしの最もリスペクトするおじさんです。
芭蕉は最高で最強です!
でも、インターネットはおろか電話も無く、新幹線も飛行機も無かった時代に、わずか50年の生涯で何ができるでしょうか?
芭蕉はメッチャ頑張りましたが、残念ながら俳諧を芸術の域に高めることはできませんでした。
あと一歩、いや、あと二~三歩でした。
しかし、その芭蕉の後を継いだのが、蕉門十哲を始めとした芭蕉の門人たちではなく、意外にも与謝蕪村だったのです。
蕪村はマジ凄いです。
芭蕉が思い描いていた理想的な俳諧に、理屈や理念ではなく、実作で抜群のフォローを入れたのですから。
それなのに、芭蕉から蕪村への奇跡的な流れを、まるで星一徹のように「ちゃぶ台返し」してしまったのが、こともあろうか、明治の正岡子規だったのです。
でも、その子規は子規で、これまた文明開化の申し子として、芭蕉の時代には想像もできなかったような世の中で、さらに上を目指したのです。
本当は芭蕉をリスペクトしてた癖に、芭蕉を否定することで新たな頂きを目指そうとした子規、ある意味、究極のツンデレです。
そして、箸にも棒にも掛からない高浜虚子によって、子規が目指していた俳句は、優柔不断な社会の荒波の中へと放り出され、紆余曲折を経て、それなりの伝統的な衣を纏うようになったのです。
この、めくるめく「俳諧から俳句へ」という大冒険の果てに、今、あたしたちがいるのです。
これって、最高にワクワクする状況だと思いませんか?
あたしは、芭蕉や蕪村や子規や虚子の後に生まれることができて、本当にラッキーだったと思っています。
そして、50年後、100年後の俳句マニアたちが「きっこの後に生まれてラッキー!」と言ってくれるように、これからも俳句を愛し続けたいと思います♪