MENU
344,671

スレッドNo.584

足元のわるい世上を杜鵑草

先月から友だちの画家の個展や特別展示展などを回っているのだが、芸術の秋だけに新宿、南越谷、上野、京橋と梯子とは言わないが画家の弟子たちとも顔なじみなので打ち上げで酒を呑むから猫ではなく前世は蟒蛇(うわばみ)だろうというわたくしもさすがに個展のたびに一升空けていると朦朧として俳句モードにならず、ABC各掲示板を回るうちに目も回って寝落ちするというのが続く。やっと茸汁を大鍋に作ってはふはふ体を温めているうちに正気に戻ってきたが、うつくC掲示板で

>タバスコをちよつと足したる十三夜 ラスカル(2022/10/12 08:52)
>十三夜ふたり揃ひて舌足らず ハジメ2018(2022/10/12 13:20)
>洗ひたる皿のしづくや十三夜 ラスカル(2022/10/13 06:32)
>皿欠けの小さきは見えぬ十三夜 ハジメ2018(2022/10/13 08:03)

と、十三夜は10月8日の土曜日でとっくに過ぎているんじゃないのか?これは十五夜と並んでこの掲示板でラスカルとハジメ2018さんも十三夜の句を詠んでいるし杜人さんもわたくしも十三夜の月の写真を載せ(わたくしのは酔っ払って爆発しているが)、わたくしが樋口一葉の『十三夜』の「片月見」の話を、きっこさんが片月見は縁起が悪いからという説を江戸時代後期の吉原の遊女たちが起源ですと説明し、ラスカルも「とても勉強になりました!(^^)」と言っておきながら、十三夜が過ぎて四日後五日後に十三夜の句を詠んでるってどういうこと。(*^▽^*)ゞ。

それとも、十三夜といった大きな季題でもまだ仲秋なら過ぎても季戻りにはならず詠み直しは許されるということなのだろうか。推敲して直した句ということであればわかるけれども。元日過ぎて四日あたりに大晦日の句が詠まれたような突飛さはないが、初めて見たので不思議。

波多野爽波の昭和57年から平成3年に亘るNHK俳句講座の中にこういう言葉があります。

「季節の先取りは俳句作りの特権です。四季というもの、四つに切れているのではなく繋がっています。その四季の移り変わりをいかに敏感に感じとるか」

だめだっぺ。俳句作りの「特権」をラスカルのような純粋俳人が放棄しては。ハジメ2018さんのような後生のお手本にならないと。
ラスカルはいつもこの「特権」を惜しみなく使ってきたのでわたくしのような後生は気(季)が早いと最初はあきれていましたが、爽波門下に入り、爽波の弟子たちやラジオ講座の録音を聴かされたりしているうちに、身の周りの移り変わりの「さきがけ」「盛り」「名残」を見極めることがいかに俳句の「特権」であるかを叩き込まれたのでラスカルの先取りにも驚かなくなりましたが、季戻りを見たのは初めてだったので老爺心までに(^^)

一緒にラスカルん家で『冬夕焼』を校正した時にわたくしが全句に厳密に季戻りがないか初・仲・晩を振った上で三でくくれる季感であれば句の内容を優先することにこだわったのは読む者が季節の流れの中で自然にラスカル・ワールドの時間に入れるように手助けすることだけが友だちとして出来ることだったからです。消したはずの留守録の電話にお母さんの声だけが消されずに残っていた、その自分の命よりも家族を案じる声を聴きながらわたくしたちはあの『冬夕焼』を編んだのです。あの句集がラスカルの句集の中で一番静かな時間が流れているのはそのためです。

それで、壁紙の話に戻るのですが、曼珠沙華のあとに紫式部か杜鵑草かどれにしようかと迷っていて、掲示板を見ていたらラスカルの十三夜を見て、月といえば佳音さんの「よべの月」だなと思って8月27日(旧暦:八月朔日)から10月8日(旧暦:九月十三日)までの句を顧みたら、十三夜に、

  ひとつ咲くひとつが嬉し杜鵑草 佳音

があったので、今日からの秋の彩りは杜鵑草(ほととぎす)です。

引用して返信編集・削除(編集済: 2022年10月13日 22:39)

このスレッドに返信

このスレッドへの返信は締め切られています。

ロケットBBS

Page Top