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スレッドNo.658

大菩薩峠を越えん草紅葉

サーキット・ライセンスは規定時間以上サーキットを走れば余程のことがなければ貰えますので、極めるというほど大層なことではありませんが、筑波サーキットは日帰りが出来ますが、菅生サーキットは仙台の方なのでバイクで行くのが遠いので日帰りは無理でヤマハの合宿に参加しました。

サーキットライセンスの取得には指導する教官が走り方を教えるのですが、筑波サーキットの時は石川岩男、通称ガンさんで、1978年には国内350クラスでヤマハTZ350を駆り全8戦優勝でチャンピオンになり、わたくしの憧れの的で、わたくしの愛車の一台はヤマハRD350でTZ350のフェンダーとかでそっくりに改造していましたが、明るくて気さくな人柄でウルトラマンのつなぎを着るなど愛嬌たっぷりの指導で忘れられません。しかし、新婚の妻を連れて1983年3月29日ロードレース世界選手権500クラスにプライベートで参戦予定でフランスのブガッティサーキットで練習中に激突されて事故死という衝撃的な事件は忘れられません。当時はワークス体制で臨む環境にはなく、岩さんはスズキの市販レーサーRGB500に乗っての参戦でした。わたくしの愛車の一台はスズキのRGB250でハンドルはイタリアの名車ドカティを使用しエンジンもオイル混合に換え、マフラーは鈴鹿耐久レースで世界的に有名なヨシムラ製に変えていたので、高速を走るとレッドゾーンからキーンというジェット機のようなエキゾーストノートに変わり130キロ以上出たので、箱根の椿ロードで抜かれたことは一度もありませんでしたが、友人に貸したら盗まれてそれっきりになりました。1983年はヤマハの“キング”ケニー・ロバーツとホンダの“若き天才”フレディ・スペンサーがWGP史上に残る激しいチャンピオン争いを繰り広げた年で、わたくしのオートバイ熱が頂点に達した年でもありました。

筑波サーキットのもうひとりの指導レーサーは日本の女性ライダーの草分け堀ひろ子が参加、彼女が男性レーサーの参加しか許されていなかった鈴鹿四時間耐久レースやサハラ砂漠縦断8000キロに特別参加して完走したため規定が撤廃されるという伝説のレーサーで、しかもきっこさんのような長い髪の美人。わたくしたち暴走族(ただし、わたくしは群れない一匹狼で、女は乗せないのでタンデムステップは外してあります)の憧れの的で、ヤマハのアルトサックスのケースに彼女の女性ライダー用のショップ「ひろこの」の唇ワッペンを貼っていました。しかし、岩さんに続いて、1985年4月に中国タクラマカン砂漠冒険ツーリングの準備中に脳溢血で夭折。享年36歳の若さで物凄いショックでした。ために、ヤマハのSR400単気筒で筑波のタイムトンネルに参加する予定でしたが指導教官石川岩男と堀ひろ子の二人を失い、二度と筑波サーキットは走りませんでした。

菅生サーキットは、国際自動車連盟(FIA)公認の国際レーシングコースの4つの専用コースを有する、モトクロス世界選手権・日本グランプリの開催地で、ロードレースの最終直線に入る前のシケインのきつさから「SUGOには魔物が棲む」と呼ばれるほどアクシデントで順位が変わる難コースで、映画『汚れた英雄』1982年(昭和57年)の舞台にもなりましたが、映画はひどかった。大藪春彦の原作は『蘇える金狼』『汚れた英雄』『野獣死すべし』全部素晴らしいが、映画も仲代達也や松田優作は良かったが草刈正雄だけは大根だった(年取ってからは見違えるように上手くなったが)。

で、サーキットというのは手で触るとわかるがヤスリのようにざらざらしている。したがってタイヤのグリップは素晴らしいが市販のタイヤなど摩擦熱でどろどろのぼろぼろになるほど。レース用のタイヤはグリップがいいので溝がなく柔らかいので長時間レースは途中でタイヤ交換をしないとぼろぼろになって走れない。四輪も途中タイヤ交換をするのはそのため(雨天のみ溝を切ったタイヤに換える)。全速スタート、急停車のテストなど、わたくしは2サイクルのRD350だったのでいきなり後輪タイヤが白煙を上げながらウィリー走行をして(前輪が宙に持ち上がり後輪だけで走ること)、慌ててアクセル緩めて前輪を着地させると猛然と全速で走り急停車は逆に後輪が上がって地面に突き刺さるジャックポットという停止の形になり、教官は呆れたが、合宿仲間からはやんやの喝采で一躍有名人になってしまったが、皆サーキットのグリッドのお陰で、わたくしもウィリー走行やジャックポットは生まれて初めてで冷や汗もんでした。

モトクロスのコースも落差35メートルの大坂と呼ばれる壁のような坂を上ったり、ジャンプで飛ぶと本当に空を飛んでいるようで、レースになると素人はジャンプでアクセルを全開にすると空中で前輪が高く上がり過ぎて反転し、ライダーは背中から落ちるから脳震盪を起こして気絶してしまう。オフロードバイクに慣れていればジャンプと同時にアクセルを戻して前輪を下げて飛べるが、慣れていないとウィリーしたまま空を飛ぶので危険極まりない。案の定わたくしの前の周回遅れのライダーが気負いすぎてコースの瘤でアクセルを強く握ってそのまま上向いてアクセル回したからバイクと一緒に一回転で気絶して、後遺症は残らなかったが、レースはそこで中断され、二位に終わり一位になりそこねた。バイクは自由だが自由には危険が伴うことを忘れてはならない。

この菅生の合宿で印象に残ったのは三人一部屋なのだが、二人は松本から来ていてBMWのサイドカーを運転しているのがテリー・サバラス(刑事コジャック)似の、というか刑事コジャックのファンでサングラスに禿頭で声も低いので似せている中年男としか思えず写真屋の主人なのだが、店は家族にまかせてもっぱら遊び歩いていているらしいが、サイドカーのもうひとりの相方には驚いた。サファリラリーで健闘している日本人チームのメカニック・エンジニアその人だった。なんで二輪に?那須の温泉に行こうと誘われてだまされてバイクの合宿に。おかしなコンビだが、一期一会で、帰りは那須の分岐点で別れた。後日、松本のジャズ喫茶の名店「クリフォード」が閉店になるのでついでにテリー・サバラス写真館に顔を出したら、主人はバイクでどこかに遊びに行ってますと奥さんが呆れ顔で言っていたので相変わらずの迷コンビで温泉巡りをしているらしい。信州蕎麦を食べて松本城を見学して帰った。この真っ黒い城は非常に気に入った記憶があります。一番城の中では好きかも。

ちなみにバイクは、長女が生まれたので危ないことはやめてと言われ、欲しがる若者たちに只であげてしまいました。最後まで乗っていたのはヤマハのDT200というオフロードでしたが、2サイクルだったので排気ガス規制でもう市販はされていない。2サイクルは加速に優れ、音もバランバンバン、バランバンバンというアイドリングの音とオイルが焼ける匂いが好きでした。

今日は部屋も18℃を切る寒さで、妙正寺川界隈もめっきり草紅葉が目立ってきたので模様替え。草紅葉とか草の花とか控え目で好きな季語です。

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