冬川の水面へ刺さる鷺の嘴(はし)
ハイヒール図書館の更新を休んでいますが、実は他の俳句掲示板の復元を頼まれてそちらに注力しています。ハイヒールつながりでわたくしやラスカルやきっこさんや遊起さんや龍吉さんがお世話になった「影庵」の庵主かげおさんが九月にお亡くなりになり遺句集を編む話があってかげおさんは桑原三郎主宰の「犀」と山﨑十生主宰の『紫』に所属していたので俳誌掲載句は残っているがインターネット掲示板の「影庵」を記録している者が誰もおらず、「ハイヒール句会」を句友たちと復元したわたくしに声がかかったのです。2007年(平成19年)から2017年(平成29年)の例句会をわたくしは保存していました。おまえは前世が豆腐屋かと云われるほどの豆男、ではなくて、わたくしは作品主義なので作者自身には興味がなくて作品だけが好きなので投句一覧は記録しているのですが披講一覧は記録していないことが多く、「影庵」の句会記録もそうでした。自分の投句記録と選句記録と感賞記録のみで「詠み人知らず」の俳句をこの句が好きという自分の選句基準で選ぶ楽しみが句会の醍醐味で、誰が詠んだかは二の次でした。「ハイヒール句会」は俳句を始めた当初からお世話になってイロハからきっこさんには教えてもらったので、他の句会とは別で終生「ハイヒール」所属ですので披講一覧ときっこ選も記録していましたので「ひよこ組」の協力で復元出来ますが、「ハイヒール」所属のままで俳句世間を放浪中に第二の師、第三の師と仰ぐ素晴らしい俳人に出会っても、きっこさんを第一の師として仰ぐ気持は変わらず、彼らも最初に良い指導者に会われたと認めてくれていました。でなければ彼らに「同人代表」を任せられることはなかったでしょう。しかし、鈴木茂雄さんが最初の俳句の水先案内人としてきっこさんへ導いてくれたように、馬場龍吉さんや井上かほりさんやかげおさんといった先輩として水先案内人となった俳人たちの御恩もわたくしの多幸とするところであり、かげおさんこと岡田一夫さんの遺句集を組むお手伝いをしたいと、過去の記録を一ヶ月かけて精査すると全句会ではありませんが、披講一覧をオマケとして記録してある過去ログが多数見つかり、IT技師としてバックアップが習性になっていたのが「作品主義」に勝ったのかと水先案内人への報恩の機会となったと喜んでいます。まあ、「死んで花実が咲くものか」と云われますが、かげおさんの過去ログを見ると、2008年(平成20年)に「影庵」でちいさな「かげお句集」をアップしており、
私は現在、入間市に本拠がある同人誌「犀」と山崎十生氏が主催する「紫」に所属しております。
「犀」は隔月刊ですが「紫」は毎月出ます。
発表した作品は過去のもので、句集にでも纏めない限りそのまま埋もれてゆくだけです。そんなこともあり、ネット上にアップし記録しておくことにしました。
と書かれており、「 発表した作品は過去のもので、句集にでも纏めない限りそのまま埋もれてゆくだけです。」という言葉が胸を打ち、スクリーンショットで保存していた作品を今読むと、ここにかげおさんの「自分が居たことを誰かに知ってほしい」という遺言のように思えてなりませんでした。
桑原三郎主宰と「犀」メンバーと一緒に吟行句会をしたとき、わたくしが二次会の料理を作ったのでかげおさんがお礼に「犀」の最新号をくださったのですが、編集長だったかげおさんの句を見てびっくり。大絶賛したのを憶えています。彼の代表作になると太鼓判を押し捲った秀句です。お亡くなりになったので名句か。どうも名句と生きている人に言うのは恥ずかしいから。
秋風や喪服の襟の眠り穴 岡田一夫
昨夜も徹夜で目がちばちばしていますが、奥様もかげおさんの遺句集を形見として望んでおり、いましばらく「ハイヒール図書館」の更新はお待ち下さい。何とか今日中に目鼻をつけて、十二月から「ハイヒール図書館」に注力します。
きっこさんは10月28日以降お顔を出しませんが、ツイッターを見る限り、中村愛ちゃんに「ハッピーバースデイ」を生放送で歌ってもらったり(わしらオヤジはお呼びでない)お母さんと誕生日に日帰り温泉に行って鰻重食ったり、蕎麦焼酎蕎麦湯割(黒馬のヴィンテージや爆弾華絞りはオンザロックですが、雲海の蕎麦湯割はわたくしの句会のお供です)や泡盛ロック五杯飲んでほろ酔い機嫌でメルマガの取材に競馬に奔走しているので(競馬だけに)、また体調崩されたのかと心配していましたが、杞憂でした。(*^▽^*)ゞ。
写真は山茶花。「山茶花は咲く花よりも散つてゐる 細見綾子」というがまさに「散るために咲く花」である。
杜人さんのサービスエリアの写真のパンフォーカス凄いね。構図も具沢山だが近景のSA、中継の紅葉、遠景の山と雲がヴァラエティに富んでお見事♪