骨砕き前頭骨で蓋 時雨
誰の葬儀の時だったか、火葬が終り、骨壺に納骨の際、骨壺が小さかったのか骨が多かったのか入りきらなかった時に、送り人が小さな擂粉木のような棒で骨を砕いて前頭骨で蓋をして納めたことがあって、そのためらいのない所作に驚いたことがある。
逆に母の納骨の際は葬儀が立て込んでいたのか高温で焼き過ぎて相対して骨を抓もうにも抓む骨が少なくて往生して「ミディアムに焼けとは言わないがウェルダンに焼き過ぎだ」と葬儀屋の社長に言ったら社長が前代未聞のクレームにあたふたしていた。喉仏の骨が「仏」の形を残していないじゃねえかと普通はその姿を遺族に見せて、なるほど仏様のようだと見送る儀式が出来ない不満を言ったのだが、妹の次男はこういう場所で滔々と話す伯父の神経の図太さにびっくりして僕には人前でそんなことが言えないと清めの席でしきりに感心していたが、妹たちはお兄ちゃんたらと呆れていた。まあ、女に喉仏は無いから難癖ではあるが。
しかし、末期の母が点滴をしようとした看護婦を「痛てえ」とでっかい声を上げて振りほどいたので看護婦がドアの外まで飛ばされて転げ出たので、見舞いに行ったわたくしは妹と顔を見合わせて笑ってしまったほど、母は痛がりで平気で大声を上げて医者を蹴飛ばすので、副院長の医者が椅子に座ったまま壁まで椅子のローラーでごろごろ転がって行くのは見物だった。レントゲン室でも手伝おうとすると「息子さんは外でお待ち下さい」と屈強なレントゲン技師が言うので大丈夫かなあと外の椅子で待機していると、果たして病院中に響くような母の絶叫が聴こえ、待っている患者たちや病院関係者が一斉にすわ何事ぞと驚いて振り返ると、レントゲン室から技師が出て来て「息子さん、手を貸してください」と哀願する始末で、大げさに痛がる母には見かけと全く違うので困ったものだった。言わんこっちゃない。こういう思い出話は、しめりがちな葬儀の席を思い出し笑いで送り出すよすがとして残る。
そう言えば、父の葬儀の時もわたくしが喪主として最後に父の思い出話を面白おかしく語り、母が歌人だったので母の残した父の短歌も披露して謝辞を述べると、親戚一同が感極まって拍手したので列席の人たちも釣られて拍手したので、葬儀社の代表が呆れて葬儀の席の最後の挨拶で満場の拍手はあれは良くなかったですねえと首を振っていたが、自宅へ帰って来たら妹が「お兄ちゃん、お父ちゃんがいない」と声を上げたので、見ると父の遺骨を葬儀場に置き忘れて来て慌てて取りに戻ったから、遺影もお前らなあと呆れて笑っているようだった。母の父への歌は父の墓に二首添えられて歌碑となっている。
ささやかなるわが倖か湯舟より夫の歌へる寮歌が聞ゆ ふさ
白波の寄せてはかへす海の邊を愛しつづけてけふ逝きにけり ふさ
わたくしが亡くなったらお兄さんの句を横に彫ってあげるよと義弟は言うが、以前は止せよと断っていたが、そんな句があるかと考えるとこの句がそうかもと思える一句があった。
毎日が母の日父の日子どもの日 猫髭
写真は満点星躑躅の光の当たらない場所の紅葉で、日の当たる上部は錦木と並ぶ真っ赤な紅葉だが、その下は実に様々な色合いの草紅葉の美しさで、俳句を嗜む右半身麻痺の昭和11年生まれの老女の車椅子介護で善福寺川緑地公園を毎週散歩するのだが、道行く人のほとんどがスマホに目を落として見ようともしないこういった俳句をやっていたことで気づく実に些細な自然の移ろいの美しさは、俳句を詠めなくても詠んでいたからこそ気づく俳人の目だけが気づく風景で、字も書けず耳も左は聴こえずとも、逆光の当たった部分だけが鮮やかな色で、それが緑や黄色や紫や朱色と混じる色合のグラデュエーションの今日の今だけの日差しの一期一会の刹那の美しさに声を上げて「わかる」ことは、今を生きている実感そのものとして喜びを運んでくれることを彼女もわたくしも知る。一週間で季節の移ろいの繊細な違いを感じて、これがさきがけ、これが旬、これが名残と刻んでゆくことは、体が不自由でも心は自由に見ること触ること嗅ぐことで「写生」しているのと同じことだと実感できるのである。俳句を詠むことだけが俳句ではなく、こういう季節の移ろいの「きざし」を感じ取ることのできる感性を養うことも俳句を生きる喜びであり、「物の見えたるひかりいまだきえざる中にいひとむべし(三冊子)」は頭でこねくりまわすことではなく、こういう見て触って嗅いで知る生きている実感の自覚の中にあるということが大事なのである。何の変哲もない雑草が落葉が千変万化の曼荼羅絵として眼前に広がる喜びは幸せの目線のこの世で一番低い俳句だけが気づかせてくれる「生きている」という実感であり、どんなに体が不自由でも自然の移ろいの盛衰に目を向けていると「あるがままに今を受け入れる」という「受容」の目を養うことにつながる。
わたくしは彼女に言う。春になると善福寺川のこの道端は小さな水色の花で埋まる。昔の人は果実が犬の睾丸に似ていることからそれを「いぬのふぐり」と名づけた。ひどい名前だが、高濱虚子が『六百句』の中で、
犬ふぐり星のまたたく如くなり
という句を詠んでいる。捨てる神あれば拾う神ありではないかと。彼女は笑って頷く。どうも虚子は大げさな句ばかりとりあげられがちだけど、
顔抱いて犬が寝てをり菊の宿
とか実に犬の姿がありあり見える愉快な句も詠んでるのにねえ、とおしゃべりしながら吟ぶらして歩くのである。しかし、即興で詠んで、あら、その句いいわねと言われても、帰るとすっかり忘れて思い出せないのは毎度のことである。今井宵子さんと二人で鎌倉吟行をしたことがあるが、彼女は携帯にすぐメモすると言っていたが、車椅子止めてスマホにメモするほどの句ではないし、第一めんどくさい。(*^▽^*)ゞ。