冬晴や杜人好みの雲出でて
>配達の瓶音つづく霜夜かな
>当時は自転車なのでそのずっと鳴っていた瓶の音が脳裏に蘇ってきました。
わたくしも再上京時に、定職につく前は、早朝の牛乳配達(軽トラで)、終わったら郵便局の郵便配達のバイト(自転車)、夜は頼まれのシナリオ・ライターをしていたのでよくわかりますが、冬は確かに真っ暗いうちから出かけますが、「霜夜」ではないでしょう。「霜の朝」ぐらいでいいのでは。瓶音というと日本語として窮屈なので「配達の瓶を鳴らして霜の朝」で牛乳配達はわかると思いますよ。主役は季語なので、一番大きな切字「かな」を使うと「霜夜」が際立ち、霜が降りる夜中に牛乳配達をするのかと読者は勘違いするので「霜の朝」の夜明けのしらじらと明けてゆく景色と牛乳瓶の予備のミルクの白さと空瓶の光も霜の光に溶け合って季語が支えてくれます。
>それが大袈裟に言えば俳句の極意なんでしょうか
いや、単に日本語の問題で俳句以前です。
それにしても杜人さんの雲の写真を見ていると、お、今日は杜人好みの雲が出てるなあと思わず、杜人さんもどこかで撮ってるのかと思ってしまいます。(*^▽^*)ゞ。