>火を落とし十六夜(いざよひ)の陶窯(たうえう)黙す 兎波
眠兎さんの昔から思っていたのですが、兎波さんは定型律の五七五に収まる句は絵画的でまざまざと見えるような描写が素晴らしいと思うのですが、句跨りの句は舌頭千転とは行かず閊(つっか)えるのが不思議でした。
五七五だと、
火を落とし/十六夜の陶/窯黙す
で切れるから五・十二で/十六夜の陶窯黙すと一気に読ませるのでしょうが、陶窯が耳慣れないし「黙す」という擬人化もこなれない。前の句のハジメ2018さんの、
秋涼し葉脈黙して交われり
の「黙す」をつないだのでしょうが「葉脈黙して」は擬人化という詩的用法ですが、葉が野分で騒ぐとか白く裏返るとかはイメージ出来ても、葉脈が黙すと言われてもじゃあ「くっちゃべってる葉脈持って来い」とプレバトの夏井いつき先生に言われても困るように、あ、あと「交われり」は「交はれり」ですよとついでに怒られて終わりですから、葉を見て詠んでいるのではなく想像で詠んでいる左脳句の見本として、前の
葉脈を滑る雨粒秋の虹 ラスカル
と比べられて「葉脈を滑る雨粒」の雨の止みかけた空にかかる「秋の虹」まで想像させる右脳と左脳の交じり加減が絶妙な客観写生が最終的には主観写生の詩になるプロセスの参考例にされてしまいます。甘いんだけどね、その甘さのファンが多いのよ。
中身より景品目当て露時雨 ハジメ2018
も「景品目当て」なら「中身より」は言わずもがなでここにどんな景品かを具体的に書けば本当にハジメ2018さんの体を通った言葉として読者にも、そう言えばあのチョコレート食べて綺麗な石を送ってもらったといった読者のあるある体験を呼び覚ましてハジメ2018さんだけの個性が出るのです。ついでに青空掲示板でわたくしが着想が面白いと褒めた「くるみ割る人形の歯は百年もつ ハジメ2018」を「下五は、医師いらず、医師知らずが収まりが良いと思いました。」って、それは昔から言われている常套句でしょうが。あなたの体を通った言葉でなければ俳句にはならないのです。着想は面白いのに着地が論外では論外ですよ。きっこさんがハジメ2018さんの句に触れられないのは頭の中で弄くりすぎて盛り沢山だからなのではないでしょうか。わたくしも散々言われました。もっと薀蓄捨てて馬鹿になれって。(*^▽^*)ゞ。
あ、関係妄想で脱線した。どこまでわせた(行った)クルリンパと(笑)、火を落とした窯が冷えてゆくのを「黙す」とつないだのなら、そのまま事実を詠んであとは季語に託せばいいではないですか。
窯の火を落とし冷めゆく十六夜(じふろくや)
十六夜には兎波さんが詠んだようにいざようという意味がありますから釜の火を落とせば冷えるのは当たり前すぎますが、兎波さんが能登に暮らすまでの猶予(いざよ)う歳月もまたそこには込められるので、十六夜の十六年以上の思いもこの季語が受けとめてくれるとわたくしは思います。
あと、
パンパンの明日には細るお月様 兎波
には春本の話をしたので「パンパン」にぎょっとしました。いずれ「ねずみ部屋」が復活した暁には高浜虚子賛嘆して置くあたわざりしものも陳列いたす、かも。(*^▽^*)ゞ。
きっこさんのエリザベス女王の競馬の話を聞いていてディック・フランシスの『女王陛下の騎手』を読んだ事を思い出して違和感があったので妄想の糸をたぐると、この女王陛下はエリザベス女王は女王でもお母様のエリザベス王太后The Queen Motherの方でした。エリザベス女王の持ち馬はほとんど クイーンマザーからの相続です。ディック・フランシスは障害競走のトップ騎手でクイーンマザーの専属騎手でした。1956年のグランドナショナル(イギリス障害競馬の大レース)においてデヴォンロック号に騎乗したディック・フランシスは後続に大差をつけ、初めて女王陛下の馬がグランドナショナルで優勝という快挙に観客たちが興奮の坩堝と化し、かつてないほど異様な大歓声で競馬場を包み、あとゴールまで約50mというところで驚いた馬が突然ペッタンコと腹這いになって止まってしまったという悲劇を起こしたのです。
ディック・フランシスは翌年騎手をやめ、競馬スリラー専門の推理小説家となり、1962年『本命 Dead Cert 』から2010年『矜持 Crossfire』まで43作の傑作を残したのです。驚くべきは全作競馬の話なのに主人公が毎回代わり騎手だけでなく酒屋の若店主だったり(彼からラフロイグLaphroaigという一度呑んだら絶対忘れられないスコッチウイスキーを教わりました。チャールズ新国王の御用達証明付き)ヴァラエティに富んで手に汗握るスリリングな展開を繰り広げることで、例外は片腕の騎手シッド・ハレーが四作あることで、一年に一作のペースなので実に奇想天外のじっくり練り上げられたストーリーに新作が待ち遠しくわくわくわくわく鶴首の思いで待ったものですが、殊にシッド・ハレーが数年ぶりに再登場の噂が出ると翻訳は早川書房から菊池光の名訳が待ち切れなくて、仕事でロンドンに正月なのに二つ返事で飛んでヒースロー空港の売店で2006年12月発売の『Under Orders』を2007年の正月にゲットしてホテルで外出もせずに読み耽っていました。というわけでわたくし競馬ミステリー43冊と自伝『女王陛下の騎手』を読んでま~す。
友だちいないからマージャン知らないしやったこともないのに阿佐田哲也の麻雀小説全作読んでいるようなもので、競馬やったことないのに競馬小説44冊持ってるのも同じ。猫髭一族は先祖の本家だか分家だか女遊びと博打で勘当された者がいるらしくて女遊びと博打は禁止なのです。酒は死ぬほど呑んでもOK♪春本も春画もバレ句川柳もOKで『壇ノ浦夜合戦記』(頼山陽伝と云われるがこれは名文。わたくしの現代語訳は原文を十倍に微に入り細に入り秘術の限りを尽くして伸ばしに伸ばしたので続きを早く訳せと矢の催促でした)『四畳半襖の下張』(永井荷風作と云われるがわたくしは余り面白いとは思わなかった。『腕くらべ』の方が圧倒的に優れている。思わず『四畳半襖の裏張り』と書いてしまったがこちらは神代辰巳監督、宮下順子主演の映画であやうく宮下順子の隠れファンだったのがばれるとこだった。バレテルッテ)『茨の垣』『風流賢愚経』などの奇書珍書も猫髭蔵書にはありますが、ただ、春本は肝心の発禁箇所が万葉仮名で書かれていたり、欠落していて膨大な補遺が付いていて、それを切り張りするとおお!そんなことあんなことの仔細がわかるという実に手間隙がかかる仕掛けが施されているので読むには学究的根気が必要です。
最後におまけで面白いことを書くと、『茨の垣』や『風流賢愚経』といった風俗本は会員制で500部限定といった好事家向けに販売されるのですが、文壇の二大大家が絶賛するのもむべなるかなといった当時の評判録が散見されるのですが、一体誰なのだろうと思っていたら、たまたま「貴重文献保存会」の散らしに書いてありました。「高浜虚子、日夏耿之介氏等の賛嘆して置くあたわざりしもの」って、おいおい、日夏耿之介は学匠詩人と言われるゴスィック・ローマン詩體の神秘派だからわかるが・・・まさかこんな場所で客観写生の先生にお会いするとは・・・そう云えば先生は子沢山だったなあ・・・。
