伯爵夫人夏の嵐を横切りぬ
世界三大映画監督のひとりフェリーニの『道』(1954年)。音楽はニーノ・ロータで1976年の来日公演見に行きました。『ロミオとジュリエット』『ゴッド・ファーザー』の音楽でも有名。
マルセル・カルネ監督『天井桟敷の人々』(1945年)脚本が「枯葉」で有名な詩人ジャック・プレヴェールというフランスを代表する名画で、主役のバチスト役のジャン・ルイ・バローのパントマイムは衝撃的な美しさでした。寺山修司はこの映画に感動し、渋谷警察の横に演劇場「天井桟敷」を建て「毛皮のマリー」のビラ配りをしていました。わたくしも彼からビラをもらい見に行きました。男娼役の丸山明宏の「あたしにこんなソーセージがついてるばっかりに」というセリフに大笑い。そうそう、『天井桟敷の人々』も冒頭いきなり無名俳優のフレデリックが雑踏の中で美女ガランスを見初め追い越してから振り向きざま「あ、君いま笑ったね」というくどき文句に観客の男全員が女ってこういう風にくどくんだと感嘆したものでした。わたくしもその一人。結果は・・・知らぬが花。
さて、次に何をつなげるかが映画狂猫髭の思案のしどころで選んだのが『夏の嵐』(原題 Senso, 「官能」の意)1954年『道』の半年後公開されたルキノ・ヴィスコンティ監督の初テクニカラー映画で脚本にテネシー・ウィリアムズが協力、監督助手としてフランチェスコ・ロージとフランコ・ゼフィレッリが参加、音楽がブルックナーの交響曲第7番という凄まじく豪華な布陣で、主役の伯爵夫人を演じるアリダ・ヴァリが全身むんむんの嵐の演技で圧巻。日本では人気がなかったがそいつら目がビー玉。わたくしはヴィスコンティの『山猫』と並ぶ傑作だと思う。嵐の予感の空を背景に舗道をドレスを振り乱して横切るアリダ・ヴァリの余りにも映画的な画面はわたくしを椅子に釘付けにしたほど凄まじかった。日本では『第三の男』で有名だが『かくも長き不在』(1961年)の泥臭いおばさん役もこなす名女優である。『道』と『夏の嵐』はフェリーニの育ちの悪さと貴族のヴィスコンティの育ちの良さがわかると比較されるが、うなこたあどうでもいい。映画愛は清濁併せ呑むんじゃ。個人的にはフェリーニの『8 1/2』がダントツだが、映画は五歳のときから映画館に通って全部記憶してるからみんな大好き(映画狂を通り越してるわ)。京橋フィルムセンターは会社のそばだったので淀川長治や荻昌治と並んで(わたくしは混んでる時は階段に座って)見ていた。
それにしてもベタな句・・・とハジメ2018さん式につぶやいてみる。あ、最近はつぶやき・・・ない。(*^▽^*)ゞ。