さやけしや爽波の湯呑漂白す
皆さん、こんばんは。
猫髭さん、「きっこ俳話集」のアップ、ありがとうございます。
本当に、お疲れ様でした。
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ベテランから見れば青臭くて失笑してしまうような物言いも散見されますが、これこそが飯田龍太の言う「身の丈」だと思います。
20年前のあたしは、20年前のあたしの「身の丈」で、言いたいことを言い散らかしていました。
そのため、今、読み返すと赤面してしまうことばかりですが、逆に自分の身の丈を超えたことを書いていたら、もっともっと恥ずかしかったと思います。
その点だけは、俳句を通して大切なことを教えてくださった飯田龍太に感謝しています。
そして、俳句においてあたしが感謝しているもう1人が、波多野爽波です。
あたしが俳句を始めたころ、俳句の楽しさを教えてくださった担任の先生が貸してくださった爽波の第1句集『鋪道の花』に収められていた「金魚玉とり落しなば鋪道の花」「鳥の巣に鳥が入つてゆくところ」などの句によって、あたしは「俳句って塀の上で日向ぼっこしてた猫があくびをした瞬間をインスタントカメラでパシャッと撮ればいいのか!」と理解したのです。
そして「冬空や猫塀づたひどこへもゆける」という句によって、あたしは俳句という17音に無限の可能性を確信したのです。
>漂鳥の雀鷹は翡翠襲ひけり 猫髭
素晴らしい竪句ですね。
「雀鷹(つみ)」は小型のタカ科の猛禽類、対象を「小鳥」などと逃がさずに「翡翠(かわせみ)」と具体的に詠んだことで、リアリティーが立脚され、自然界の厳しい現実が迫って来ました。
ただ一点、「漂鳥の雀鷹」という表現に感じる「馬から落馬」のニュアンスが残念です。
「漂鳥」にも深い意味がありますが、俳句ではそこまで読み手に手取り足取り説明する必要はありません。
「漂流の」で十分です。