神の留守うさぎの巣穴しんとして
皆さん、こんばんは。
兎波さん、素晴らしい座を体験なさったのですね!
羨ましい限りです。
その上、雨だと言うのに、機能性より自分のスタイルで「着物に雨コートと雨草履」だなんて、おしゃれな兎波さんらしくて素敵すぎます!
>あさがほの枯れし鉢より秋の草 兎波
千代女を踏まえてしっかりと詠めていますし、現代の「朝顔=夏」という季節感を前提とすれば、夏から秋への移ろいが感じられる素晴らしい作品ですね。
しかし、残念なことに「朝顔」は秋の季語なので、季重ねはともかく、季節の移ろいが感じられません。
もったいないですね。
兎波さんの句では、朝顔は完全に枯れてしまっていて、その鉢から秋の草が生え始めた、という二部構成になっています。
それなのに、第一部の「朝顔」も第二部の「秋の草」も同じ秋の季語なので、季節の移ろいが感じられないのです。
このように同じ季節の季語を時間差で重ねる時は、こんな詠み方もあります。
あさがほの枯れゆく鉢に秋の草
このように詠めば、同じ秋の季語を重ねても、夏から秋への朝顔の最後の命の雫が、少し遅れた時期の秋草へとバトンタッチされたように感じられ、同じ秋の季語同士でも、そこに季節の移ろいが表現されるのです。
ちょっと高度なテクニックですが、良かったら参考にしてくださいね♪