きっこさん、皆さん、おはようございます😃
「近未来都市の谷間の花便り」の「近未来都市」から連想するのはハリソン・フォード主演のリドリー・スコット監督の映画『ブレードランナー』の酸性雨の降りしきるロサンゼルスで、レプリカントとか原作のフィリップ・K・ディックのSF小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を思い出す。
「谷間の花」で連想するのはバルザックの『谷間の百合』で、これは花でも百合でもなく亡命貴族のDV亭主を持つ伯爵夫人のことだが、読んだのは十代だからなぜ出て来る女性が子持ちの人妻とか愛人も人妻で今の恋人も人妻ばかりなのか理解不能だったが、古稀を過ぎても結婚している他人が恋愛の対象になるのがわたくしには未だにわからない。合体したいなら夫婦でやれば只だし不倫にはならないしで夫婦円満だと思うが、などと関係妄想症だからいくらでも連想は妄想となっても果てしなく続くので、きっこさんの句は近未来都市のビルの谷間には人妻の胸の谷間に恋のあだ花が咲くというSEX$CITYの象徴句ということになるので(おいおい)、わたくしはタイムマシンに乗って子どもの頃に帰ってじゃんけんで遊ぶとしよう。石(ぐう)・鋏(ちょき)・紙(ぱあ)♪
皆さん、こんばんは♪
しりとり俳句に参加する最大の利点は「発想力の鍛錬」です。
しかし、皆さんの句を見ると、誰かが「春雷」という季語の句を詠んだ時、次も次も次も「春雷」の句が続いています。
そして、やっと「春雷」から離れたと思ったら、また「春雷」に戻してしまう人が出て来ます。
これでは、子どもでもできる遊びであって、何の意味も持ちません。
前の人が「春雷」という季語の句を詠んだら、次の人は「春雷」の「雷」を使って浅草の「雷門」や「雷おこし」や「カミナリ族」など、「雷」を含む「季語ではない言葉」を使い、まったく別の季語を取り合わせる。
こうして進んで行かなければ、しりとり俳句は同じ場所をグルグルと回っているだけで、未来へは進んで行かないのです。
あたしは、ちょくちょく書き込みできませんが、皆さんの句をできるだけ見落とさないように読んでいます。
そして、「これはイイ!」と思った句を見つけた時には、その句に対して高評価のコメントをしたいと思っています。
しかし、現在のしりとり俳句は、大半が「当たり障りのない50点の句」の連続で、冒険的な句や実験的な句、その作者ならではの句や座友を驚かしてやろうという句が見られないのです。
これは、とても残念なことです。
俳句は、五七五で季語が入っていれば、あとはどうでも良いのですから、皆さん、もっともっと冒険してみてください。
もっともっと実験してみてください。
もっともっとチャレンジしてみてください。
あたしが驚いて飛び上がるような句、あたしがびっくりして飲んでいたお茶を噴き出すような句、そんな句を期待しています。
芭蕉の教えの根幹である「不易流行」という言葉の意味を、今一度、考えてみてほしいと思います。