攻撃性
子供の頃、中学の三年生だったと思うので、子供だろうと思う。
攻撃性についての難しい本を読んだことがある。もちろん内容は覚えていない。
わりと私は攻撃される方だと思う。最近になってからだろうが、ほとんどの場合、受け流すようになってきた。
人間ができてきたのではない、反対にすぐには相手の敵意を理解できないようになってきたのである。
これは、記憶力が衰えてきたこともある。
それの絡みで記憶が抜けているので相手の言うことが、すぐにはわからない。
少し経って、彼はあれで怒っているんだなとわかる程度である。
後は、自分の影響力について、それは自分の望む方向にあるのではなく相手の望む方向にあることがわかった。
基本的に相手は同調してくれる人を求めている。
私が相手の思う通りのことを言えば力のベクトルが合うことになる。
そうなると『そうか、私の助言を彼は受け入れた。私にはそういう影響力があるのだ。応援せねば。』と私は思うようである。
私が相手の思うことと反対のことを言えば、ベクトルはおかしな方向を向くので、『仲がよかったのに急に話が合わなくなってしまった。酒でも飲んでしまったのだろうか。』などと私は勝手に考えていたわけである。
さて、どうしたものか。ベクトルが合えば、良くも悪くも物事は進むことになる。
本に書いてあることではないが、不思議なことに攻撃しても自分は攻撃されないと思っている人もいる。
上司は部下に攻撃的な物言いをしても、言葉で攻撃し返されるとはあまり思っていない。
男性が女性に上毛を仕掛けるとき、あまり反撃は予想しないのではないか。
誰か特定の人を多数でいじめるとき、いじめる側の人間は自分に反撃が向いてくるとはあまり思っていない。
北朝鮮が日本に向かってミサイルを打つ時、日本が北朝鮮に迎撃ミサイルを発射するとは思っていない。
現実では、思った以上に思っていないことが起こる。
自分が行う攻撃によって反撃を招き自分が受けるであろう被害を考えられるだけの能力があれば多くの『攻撃』は行われない。
そういうことにしておこう。しておこう。ということで、軍事バランスが整っているのだろう。
違うような気もする。