>希理子さん
希理子さん、書き込みをありがとうございます。
同じ短詩型であっても、短歌は定型感覚がゆるく、俳句はとても厳しいのです。
希理子さんは歌人ですから、良くお分かりだと思いますが、短歌は、定型を崩すことによって余情を表現したりするだけでなく、そのような意図が無くとも、作者はあまり音数に捉われずに、使いたい言葉をそのまま使うことが許されています。
一方、俳句は、たった1音の字余りであっても、そこに明確な意図がなければ許されません。
親切な心であればさつき散る 爽波
この句の下五を希理子さんのおっしゃるように正確に表現すると「さつき落ちる」となり、字余りになってしまいます。
定型に収めるために「さつき落つ」とすると、季語の持つ本意が強調され、作者が本来言いたかったこととは、句のイメージ、そして裏側にある意味がまったく違ってしまうのです。
ですから、本来のさつきの花の散り方(落ち方)よりは柔らかい表現を選び、定型に収めるとともに、描写と響き合わせているのです。
「写生」と言う観点から見れば「さつき落つ」とすべきように思われますが、何気ない親切によって心が和んだ作者には、ポトッと落ちたさつきの姿も、柔らかく散ったように感じたのです。