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スレッドNo.58

>倭瑠さん、風待月さん、猫髭さん

投稿日: 2月 7日(土)16時24分18秒

倭瑠さん、句中の季語から、その季節だけを読み取るか、それとも倭瑠さんのように、巡って来た季節を読み取るかによって、その鑑賞も違って来ます。
俳句は、今、自分が立っている季節の一瞬を切り取るものですが、その一瞬は、巡り行く季節の中に存在するからこそ、色褪せないのです。

風待月さん、書き込みをありがとうございます。
風待月さんのおっしゃるように、多くの俳人は、キチンと勉強したのではなく、何となく俳句っぽいからと言う理由で、「し」や「き」などを使っています。
もちろん、スタート地点はそれで良いのですが、いつまでもそこで足踏みしているのではなく、少しづつでも前へ進んで行くべきですね。
そう言った勉強ができるのも、自由に意見が述べ合えるインターネットの利点だと思います。

猫髭さんのおっしゃるように、「~てをりぬ」と言う言葉の使い方は、芭蕉や蕪村などの俳諧や、その他の古典などでは目にしません。
ですから、現在では他の文芸でも普通に使われていますが、その発生は俳句なのかも知れません。
もしそうであれば、俳句が短詩型だからこそ生み出された独特の文法であり、俳言(はいごん/はいげん)のひとつと考えることができます。
「~てをりぬ」を使った句は数え切れないほどありますが、その中には、単なる調子合わせであったり、明確な意図もなく使用しているものもたくさんあります。
しかし、この表現でなければ成り立たない句があることも事実です。
あたしが例にひいた句は、いくらでも別の表現が可能なのに、それぞれに何らかの意図があって「~てをりぬ」と言う表現を選択した句ですので、参考になればと思います。

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