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スレッドNo.80

天高しやがて電柱目に入り来 爽波

投稿日: 2月11日(水)23時34分38秒

俳句は一瞬を切り取るものと教えられた人はひっくりかえるだろう。
秋晴れの空を仰いで身も心も一新。そのあと視界の端に見えてくるものがある。どこにでもあるあの電柱である。その先っぽの、碍子や電線が集まっている最も無骨なところである。解説するとただそれだけである。

「やがて~する」の用法が俳句で使われていいのか。伝統を大事にする俳人はこれは俳句ではないと怒り狂っているだろう。

では彼らはどんな句なら良しとするのか。いくつか考えた。

  電柱の上やしばらく天高し
  秋天の電柱ごとの高さかな  
  電柱の真直ぐに立てり秋の空  

作ってみるとよくわかる。出来ないのである。どれもありふれている。言葉遊びに陥っていくだけだ。何故か。秋の空と電柱は合わせれば合わせるほど陳腐になる関係である。
しかし爽波はそれを敢えて詠んだ。この誰もが見たことのある平凡な光景を陳腐どころか、新鮮に描写した。いとも簡単に「こう詠めばいいのだよ」と。この骨法は俳句を10年くらいして研究すれば真似できそうであるが、猫髭さんも言われている通り、止めておいたほうが賢明である。俳句の一ジャンルにはなるだろうが本流にはならないと思うから。

爽波には自分の斬新な句にみんなが驚くのを面白がっているところがあるのではないか。でなければこうも次々と驚くような句を出さないだろう。でも爽波さん、ソウハ問屋が卸さないですよ(笑)「やがて~する」の表現はもうご自身も使えないでしょうし、以後誰も使えないのですから。えっ?爽波さんはもういないの?で、誰がその句風を継いでいるのですか、きっこさん。

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