満月を上げて煮凝る鯛の目よ 爽波
2月18日(水)08時25分24秒
第二句集「湯呑」におさめられている、昭和53年の句です。
煮凝の句で、魚の目玉を詠んだ句は、掃いて捨てるほどあります。
そして、そのほとんどが、「目玉が揺れている」か「目玉が失せている」かのどちらかで、それぞれの句は表現こそ微妙に違いますが、完全な類句の世界なのです。
ですから、多少俳句を勉強している者なら、「煮凝を詠む時は魚の目玉は詠まない」と言うのが常識になっています。
そんな類句の山の中にあって、たった一句だけ光り輝いているのが、この爽波の句です。
まずこの句は、煮凝(冬)ではなく、満月(秋)を季としている点、そして、料理としての煮凝ではなく、煮物の鯛が煮凝って行く様を写生していると言う点、この2点により、どこにも類句のない、独自の視点を持った句として成り立っているのです。
類想類句の多い題材でも、爽波のように過去の句をきちんと読んで勉強すれば、まだまだ誰にも詠まれていない隙間や発見があるのです。
煮凝って行く鯛の目が、まるで天上の満月を閉じ込めてしまったようで、秋の夜の澄み渡る空気までを感じさせてくれます。